地元の柏を愛し、また地元から愛されてもいた(田中聖公式Twitterより)
確かに薬物に手を染めるのは犯罪だが、一度手を出してしまえば身体依存と精神依存によって止めようとしても止められない現実がある。薬物依存者もまた薬物そのものの被害者でもある。田代まさしさんのケースは多くの人が知るところだろう。芸能人の麻薬再犯はネットのオモチャにされることもあるが、冗談ではなく薬物とは本当に恐ろしいのだ。一度手を出せば、誰もが彼らのようになり、一生苦しむことになる。
「本人の努力が足りない、本人が甘えている、と言うことは簡単ですが、それでは解決になりません。依存者もそのほとんどが苦しんでいます。だから絶対に、一度でも手を出してはいけないし、一度でも手を出したら破滅につながります。そして薬物依存者に自助努力を求めることは無理なんです」
これに筆者が付け加えるとするなら、聖さんに限らず薬物依存者に執行猶予は必要なのだろうか。薬物、とくに覚醒剤は執行猶予でなく医療刑務所への収監が必要なのではないか。罰としての収監ではなく依存離脱プログラムとしての収監制度があれば、聖さんがこんなに短時間に繰り返すこともなかったように思う。ケアマネも言及したが、あきらかに渇望による薬物探索行動を伴う慢性中毒だったのではないか。薬物依存症回復支援施設は全国各地にあり、日々依存者と向き合っているが限界もある。薬物の規制を強化するのは当然だが、薬物依存者に対しても強く対応すべきだろう。はっきりいって執行猶予をつけすぎるし安易に野に放ち過ぎる。罰としてではなく治療の意味での収監を積極的にすべきだろう。そもそも刑務所は罰だけでなく更生のためにもあるはずだ。
それにしても、同じ地域で生まれ育った者として悲しい話だ。逮捕された場所もまた、あんな立派なデッキはなかったが様々な思い出が浮かぶ。聖さんもそうだったはずだ。それなのに、聖さんは愛する柏とその人々を裏切ってしまった。スーパースターとなり、色々あって地元に戻っても柏の人たちは暖かく迎えてくれた。その故郷で、お祭りまであと1ヶ月というところで逮捕された。かつて彼もその弟たちも、ご両親も家族みんなで柏まつりを楽しんだはずだ。戻るところは柏しかなかった、その柏で罪をまた重ねた。
ただ罪は罪とはいえ、これで執行猶予が取り消され、おそらく収監されるであろうことは幸いだと思う。心置きなく強制的に薬物依存症の治療を施すことができる。カリスマ性も才能もある人だ。薬物さえなければ、ただそれだけである。罪を償い寛解したならば、柏市民のみならず東葛地域のみなさんは暖かく地元のスーパースターを何度でも迎えることだろう。仲間に甘い云々といっても、やはり多くの人々から支えてもらわなければ薬物依存を断ち切ることはできない。孤独もまた依存を招く。
帰る場所があることは素晴らしいことなのだ。離脱症状の日々は辛く厳しいだろうが、天下のジャニーズで特訓を重ねた日々に比べれば大したことはない。その自信をもって治療に励み、またあのころの田中聖として戻ってきて欲しい。30代、まだやり直せる。
薬物に苦しむ人のために全国の精神保健福祉センターは薬物依存の相談窓口を設けている。またそうした薬物患者の家族のための団体、薬家連(全国薬物依存症者家族会連合会)も相談に応じている。東京都も「夜間こころの電話相談」を開設して匿名の相談を受け付けている。いずれも決して罰するための機関ではないため、悩む人は勇気を持って活用して欲しい。
【プロフィール】
日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員、出版社勤務を経てフリーランス。社会問題、社会倫理のルポルタージュを手掛ける。