レーニンの愛読書に影響を受けた
懇親会での習の思い出話は続く。熱っぽくロシア文学への思いを語った。
「我々の世代には西側にあこがれる人間が多いが、私は中国とロシアの文学を読んで育った。プーシキンがとても好きで、3年前にサンクトペテルブルクを訪れた際、彼が学んだ学校を参観した。トルストイの『戦争と平和』や、ドストエフスキーの『罪と罰』、ゴーゴリの『死せる魂』、ショーロホフの『静かなドン』などの作品も読んだ」
「最大の趣味は読書」と語る習らしいエピソードだ。
中でも習が「心が揺さぶられた」と絶賛する一冊が、ロシアの思想家であり作家でもあるニコライ・チェルヌイシェフスキー(1828~1889年)が書いた長編小説『何をなすべきか』だ。父がソ連から帰国した際に持ち帰ってきたという。
「父はこれらのお土産を私に見せながら、自分がいかにソ連を尊敬しているかを幼い私に語ってくれた」
習が16歳の時、文化大革命の影響で陝西省の農村に下放された約7年間、同書を何度も読み返したという。中国共産党による党員向けのサイト、中国共産党員ネットの「習近平の本棚」というページでは、習の過去の発言などを元に習の愛読書が100冊ほど紹介されている。その中の「外国名著」のコーナーで『何をなすべきか』が紹介されている。
チェルヌイシェフスキーは、専制政治を批判する急進的知識人の指導的理論家の一人。1853年から雑誌で農民の立場からの革命を訴え、若者の思想に影響を与えた。「労働者は自らの仕事の結果を所有する権利を持っている」という「勤労者の理論」を提起しており、社会主義の祖、カール・マルクスに高く評価されている。
『何をなすべきか』は、チェルヌイシェフスキーが「反政府活動」を理由に逮捕された後、獄中で4か月間かけて書き上げた。主人公の女性をめぐる恋愛が描かれている。しかし、読み進めるうちに、帝政や貧富の格差への批判のほか、女性の解放などを暗示している表現があることに気づく。
そうした部分を見逃し、恋愛部分だけを読んだ刑務所の検閲官は、出版を許したのだ。瞬く間に若者らの反響を呼んで、政府は慌てて発禁処分にしたが時すでに遅し。コピーがロシア中に出回った。
ソ連を樹立した革命家、ウラジミール・レーニンにとっても愛読書の一冊だった。チェルヌイシェフスキーのことを「マルクス以前の社会主義の最も才能豊かな代表者」と評価したうえで、『何をなすべきか』についてこう絶賛した。
「この小説の影響を受け、数百、数千の人々が革命家となった。この小説は私をすっかりとつくりかえてしまった」