「ファッションのプロデュースを仕切っていたのは梶子さんでした。彼女は当時ザ・タイガースで大人気だった沢田研二さん(74才)の黒のベルベットの上着に白いパンツというデザインを担当して、大好評を博した。このファッションを気に入ったジュリーはすぐにキャンティの常連になりました」(Aさん・以下同)
大原麗子さん(享年62)や小川知子(73才)、いしだあゆみ(74才)、峰岸徹さん(享年65)、中尾彬(79才)ら、多くの芸能人も六本木に吸い寄せられた。まだ若かったこれらの面々は、渡辺プロダクションの渡辺美佐副社長(当時)に「野獣会」と名づけられた。
「『六本木野獣会』と呼ばれた若手たちは、のちに芸能界で大輪の花を咲かせました。大原さんと小川さんはよく2人で六本木に繰り出していた。キャンティの3階にあるVIPルームでしばしば姿を見かけました」
黒鉄さんは大学卒業後の1970年代に六本木のスーパーマーケット・明治屋の隣のビルに仕事場を借りて、仕事と遊びに没頭した。
「毎日、仕事が終わったら遊びに行っていました。当時の六本木はゲイバーが多く、ある店では歌舞伎役者がショータイムの振り付けをしていました。いまでは考えられないけどね(笑い)。
明け方まで六本木で飲んで、いろんな業界の第一線の人から最新の情報を得ていました。阿川弘之さんや吉行淳之介さんは読書量が半端なく、話についていくために必死で勉強しました」(黒鉄さん)
六本木での運命の出会いが人生を変えたケースもある。
1970年頃、歌手になったばかりの松崎しげる(72才)は、弾き語りのバイトをしていた六本木のクラブで、エルヴィス・プレスリーのものまねでデタラメな歌を歌う風変わりな俳優と出会った。駆け出し時代の西田敏行(74才)だった。
「意気投合した2人はコンビで即興の歌を披露するようになりました。それが客に大ウケして、噂を聞いたTBSのプロデューサーが1976年に『西やん松ちゃんのハッスル銀座』という生番組に2人をキャスティングした。
その番組をきっかけに、松崎さんと西田さんは芸能界で名が知られるようになりました」(テレビ局関係者)
真夜中の人と人との交わりから新しい何かが生まれて、世の中を動かしていく。それが眠らない街・六本木が秘めた大きな力だった。
そして時代は狂乱の1980年代を迎える。
(後編に続く)
※女性セブン2022年7月28日号