「追悼の辞」を読み上げた菅氏(写真/JMPA)
昭恵夫人がその声にこらえきれず表情を崩して涙を見せると、記者席にいる報道陣のあちこちからすすり泣く声が聞こえた。カメラマン席にいる30代の男性記者は膝に手をついてときおり目を擦り、全国紙の若い女性記者も目元をハンカチで押さえていた。
弔辞を読み進めた菅氏が再び声を震わせたのは、政治記者には有名な「銀座の焼き鳥屋」エピソードだった。
〈総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、2度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。最後には、2人で銀座の焼き鳥屋に行き、私は、一生懸命あなたを口説きました。それが使命だと思ったからです。
3時間後には、ようやく首をタテに振ってくれました。私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思うであろうと思います〉
このくだりで再び、会場からは嗚咽が聞こえてきた。
この「焼き鳥屋」での話は、2012年のことである。当時は民主党政権。その年9月の自民党総裁選に安倍氏を担ぎ上げたキーマンが菅氏だった。2006~2007年の第1次政権は、世論から見ると“投げ出した”ように見えていた。それだけに安倍氏は再び表舞台に立つことを躊躇していたが、菅氏がその背中を押したのだ。政治担当記者が語る。
「焼き鳥屋へ誘ったのは、菅さんのほうからです。3時間にわたって安倍さんを説得し、最後にはうなずいたといいます。2人きりで食事したのはこの焼き鳥屋が最後だとされていますから、菅さんにとっても特別な思い出なのでしょう」
弔辞を読み終え、再び安倍氏の遺影を見つめた菅氏の目は、赤いように見えた。