山頭火の55句を選び、解説をした金子兜太氏
金子氏「印象が変わっていくのも俳句の奥深さ」
その答えになりそうな証言がある。
戦後、前衛俳句の旗手として頭角を現わし、現代俳句の泰斗として知られる金子兜太氏(2018年没)は生前、俳句の鑑賞について、その「自由さ」を認めていたという。
自由律俳句の名句について、金子氏の解説が収録された新刊『孤独の俳句 「山頭火と放哉」名句110選』(又吉直樹氏との共著)を企画・構成した左古文男氏は、その言葉をこう記憶している。
「兜太先生がよくおっしゃっていたのは、俳句という文学はそれぞれの読み手がどのように受け取ってもいいのだということでした。そして、何度も何度も味わううちに、しだいにその句の見え方、受け取り方が最初の印象とは変わっていく。それはそれでいい、と。それが、自由律に限らず俳句の奥深いところだというような主旨のことを言っておられました」
金子氏が、山頭火の句作とシンクロしているように思える解説も残っている。
山頭火が2回目の放浪の旅に出た時の句である。
「酔うてこほろぎと寝てゐたよ」 山頭火
この句について、前掲書にはこんな解説が付いている。
〈1930(昭和5)年10月9日、上ノ町(現・宮崎県串間市)で書いた句。二日前に目井津(めいつ/現・日南市)でつくったものの訂正句だが、どうしたことか削除の印がある。しかし私はこの句の方がいいと思う。二日前の句は、「酔うてこほろぎといつしよに寝てゐたよ」だが、「いつしよに」とくどく気持ちをこめすぎているように思う。さらっと書く方が逆に印象が強いのではないか〉
俳句を詠む側もまた、日ごとに句を修正したり、推敲したりする。それを繰り返しながら、その時々の自分にとって最もしっくりくる表現を探っていくものらしい。
一草庵の縁側から眺めた風景。終の住処を松山に得て、「しごくのんきに」1年を過ごした山頭火はここで「ころり往生」した