3人が選んだ「夢の紅白歌合戦」
朝から興奮した大晦日のお祭り
合田:僕は、昭和38年が思い出深い。まだ2歳でしたけど、父親が歌好きの子供にテープレコーダーを買ってくれた。紅白の音や家族の声を録音していて、今でもたまに聴きます。
太田:かなり貴重ですね。
合田:この年、歴代最高の視聴率81.4%でした。梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」、倍賞千恵子「下町の太陽」などバラエティに富んでいた。初出場の北島三郎は「ギター仁義」を歌った。子供の頃、そのテープばかり聞いていて紅白がないと死んじゃうと思うぐらい好きでした。
太田:大晦日はお祭りでした。朝から興奮してました。
合田:子供の頃、「最後まで観るために昼寝しなさい」と言われました。お風呂はレコード大賞の前に入るものでした。
鈴木:元日になると、ガクッとくるんですよね。
合田:紅白まであと364日も待たなきゃいけないのかと(笑)。『夢紅白』は原点に戻って昭和と同じ夜9時からの放送にしましょう。
太田:実現しなかった夫婦対決も見たいですね。
合田:昭和46年、前川清が病気で出場を辞退しましたよね。藤圭子が「みちのく小唄」の後、クール・ファイブをバックに旦那の代わりに「港の別れ唄」を歌った。
太田:昔は紅組と白組の区別が厳格でしたから、珍しい演出でした。
鈴木:最近は、男女を分けて戦うのは良くないという意見もありますね。
合田:紅白って、もともと男女同権のために作られたんですよ。スポーツだと体力の差でどうしても男性が勝ってしまう。歌なら勝負できると。
太田:戦後の民主主義で男女平等を謳っていた昭和20年の前身番組から始まったんですよね。“歌うスポーツ”だから、選手宣誓もしていた。
合田:昭和37年、橋幸夫はデュエット曲「いつでも夢を」を単独で歌っていました。昭和43年のピンキーとキラーズで初めて男女混合のグループが解禁された。
太田:『夢紅白』では紅組司会の吉永小百合と橋幸夫に2人で歌ってほしい。
鈴木:司会者対決で、白組はタモリがアイパッチしてトランペットを吹き始めると、井上陽水が登場。『ブラタモリ』のオープニング曲「女神」を歌う展開です。
合田:後半戦のトップバッターは、坂本九とピンク・レディーの“世界に羽ばたけ対決”で盛り上げましょう。
鈴木:「上を向いて歩こう」はアメリカで1位になりましたからね。ピンクは米国進出時の「キッス・イン・ザ・ダーク」で対抗です。3年後に大阪万博を控えていますから、三波春夫の「世界の国からこんにちは」は欠かせません。