初めて仕事を打ち明けた時、内心穏やかではなかったという小川ひまりさんの母親・小川千鶴子(仮名)さん
デビューを決断する前、家族にはいっさい相談していなかった。しかし、「この仕事は続けられる。続けたい」と思うに至り、母親には伝えようと決意した。はじめての撮影の翌日、母がリビングで洗い物をしているときだった。
「『昨日行った仕事ね、AVの撮影なんだ』と打ち明けました。『だけど、ドラマ撮るのとかと同じだから。主役になれる作品の仕事も入るかもしれない』って。最初、怒られるかなって思ったけど、意外にアッサリしてて……。『脅されたとかではなく、自分で決めたんでしょ?』と聞かれたので、そうだよ、と答えたら『じゃあ、頑張りなさい』って。拍子抜けした、っていう感じでしたね」
娘には「アッサリしていた」と映ったが、母親の内心は穏やかではなかった。取材に応じてくれた小川ひまりの母親、小川千鶴子さん(仮名・57)は言う。
「えーって驚きましたよ。裏の仕事だと思いました。人には言えないって。どうしてそんなモノに出るの……ってショックでしたよ。でも娘は、一度決めたことはいくら止めても絶対に曲げないタイプ。だったら、お疲れ様、おかえりって迎え入れて、行ってらっしゃいって送り出す。それだけしかできないなって思いました。怖くて撮影の内容は聞けないです。聞きたくも見たくもないし」
千鶴子さんが娘のことを「一度決めたことは絶対に曲げない子」と言うのには理由があった。子役時代、親子は毎日のように稽古やオーディションに出かけ、いつも一緒だった。千鶴子さんは「娘が可愛くて可愛くて仕方なかった」と振り返る。しかし、中学生になり仕事がなかなか入らない状況が続くと「反抗期」が訪れる。
「口を聞いてくれないし、家ではずっと怖い顔をしていて、夜も帰らない日が続いて。高校生になってもほとんど口をきかず、『卒業したら家を出る』と言い出しました。私は泣きながら、『それだけは止めて』と食い下がりましたが、娘は戻ってきませんでした」(母・千鶴子さん)
家を出た小川は、昼は地下アイドルの活動、夜はガールズバーでアルバイトする日々を送っていた。そんなある日、バイト帰りの早朝のことだった。自転車で渋谷警察署付近を走行中、車と正面衝突する大事故に遭った。