凡庸だからこそ天下が取れた
「過去の諸作品では、感情的な女性として描かれがちだった淀殿ですが、実際は豊臣家の存続と誇りを守ることを天秤にかけつつ、最適と思われる選択肢を、慎重に選んでいった賢い女性だったと思います。僕は、そんな淀殿の実像を知ってほしかったのです。
読者の中には、自分のイメージとは違うと思う方もいるかもしれませんが、この物語の淀殿は、史料や定説をじっくりと吟味した上で描いたので、安心してお読みいただきたいと思っています」
また家康と秀忠の関係には、一男一女を持つ自身の思いも反映されたとか。
「親というのは愚かなもので、常に自分の子供が至らないと思ってしまいます。僕も同じで、いくつになってもゲーム三昧の息子が心配でなりませんでした。しかしある時、しっかりした一面を知ることになり、息子に対する見方が変わりました。
家康も後継者に選んだ秀忠に気を揉んでいました。しかし徐々に秀忠が後継者に適していると気づくことになります。一方、淀殿も秀頼の凛々しい一面を知り、何とか豊臣家を存続させたいと願います。しかし運命は、それを許してはくれません。本作では、そんな親子の継承の物語を書きたかったのです」
それでいて家康が類まれな政治家ではなく、あくまで一人の人間である点も面白いと言う。
「狸親父的な家康像が一般化したのは司馬遼太郎さんの『関ヶ原』以降で、大河ドラマでいうと『葵 徳川三代』(2000年)の津川雅彦さん辺りからです。その前は、律義者というイメージが先行していました。
そうした従来のイメージを尊重しつつ、新たな家康像を構築しようとしたのが本作の狙いです。何でもすべて知っている謀略家の家康ではなく、次々と立ちはだかる問題を苦労しながら解決していく、どこにでもいるような平均的な人物として、家康を描きたかったのです。まさに家康は、凡庸という言葉が最もしっくりくる人物であり、凡庸だからこそ、天下が取れたということを、読者に知ってほしかったのです」
家康という人間を深く洞察し、その実像に迫った本作を読んでから見る大河ドラマは、また一味違ったものになるだろう。
【プロフィール】
伊東潤(いとう・じゅん)/1960年横浜市生まれ。早稲田大学卒。ビジネスマン生活を経て、2007年『武田家滅亡』でデビュー。2011年『黒南風の海』で本屋が選ぶ時代小説大賞、2013年『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、同年『義烈千秋 天狗党西へ』で歴史時代作家クラブ賞作品賞、同年『巨鯨の海』で山田風太郎賞と高校生直木賞、2014年『峠越え』で中山義秀文学賞を受賞。初めて見た大河ドラマは1972年の『新・平家物語』。「この大河を見て歴史好きになりました」。173cm、96kg、B型。
構成/橋本紀子 撮影/国府田利光
※週刊ポスト2023年1月13・20日号