驚くのは湯川さんが何十年も前のエピソードを正確に覚えていらして、たとえば、まず、30秒のCMソングを書いたとか、これはB面だったとか、アルバム曲だったとか……。そしてタッグを組んだ筒美京平さん(享年80)や井上忠夫(後に大輔に改名)さん(享年58)、つんく♂サン(54才)らとの当時のやりとり。最初にデモテープで聴いたアーティストの皆さんの“声”がどんなふうにほかの人と違っていて、それがどれだけ魅力的で、湯川さんが惚れ込んだその声が時や年齢を重ねてどのように変化・進化していったかを熱弁。そして「こんなにも長く歌ってくださっていること」を心からリスペクトしていらっしゃることでした。
伊代サンのデビュー曲の『センチメンタル・ジャーニー』、2枚目の『ラブ・ミー・テンダー』という、洋楽の大ヒット曲からタイトルをいただき作詞し、デビュー40周年に再び『イエスタデイ・ワンス・モア』というタイトルで詞を書いたことが湯川さんの口から紹介されました。音楽評論家でもあるから、ライナーノーツを書かれる感覚で記憶が鮮明なのかもしれません。
委員長や呼びかけ人、団体のリーダーとして精力的活力
音楽が本当にお好きなのだということは、アーティストのかたの歌に合わせて全身でリズムをとったり、東京女声合唱団の皆さんとは見事な振り付けで『涙の太陽』を歌い、時には手話を交えたりして表現。
昨年、お亡くなりになった、いわく“元ダン”(田村駿禮さん)と晩年、息子さんやお孫さんと共に、再びすてきな関係を築かれていたことでお別れがおつらかったこと。「あんなにボロ泣きしながら書いた詞はない」という、『まさか愛していたなんて~戦友~』をクミコさんが披露したときは、涙を浮かべていらっしゃるように見受けました。
司会の徳光和夫サン(81才)が度々紹介されていたのは、湯川さんのさまざまな活動。中川翔子サンが歌う『ありがとうシャンシャン』は、「上野動物園」の飼育員の皆さんが綴った言葉に湯川さんが補作詞したものですし、『うまれてきてくれて ありがとう』は、湯川さんが会長を務める「NPO法人日本子守唄協会」の創立15周年記念にできた曲です。
前述の「動物愛護委員会」も、小林カツ代さん(享年76)の遺志を継いで湯川さんが委員長をしていらっしゃいますし、ほかにも呼びかけ人として、さまざまな団体のリーダーとして精力的に活動。反核、反戦の立場でSNSで発信されたり、C型肝炎と闘っていることを公表されたりもしています。
LINEの返信も誰よりも早くていらっしゃる。昨日も「エンジン01」の有志によるグループLINEで『~音楽会』の画像とコメントを私がアップしたら、「贅沢なオーケストラに彩られて、出演してくださったアーティストの皆さんの力量と想いの温かさに感動。本当に幸せな夜でした」と返信がありました。オケは、山下康介さん(48才)指揮のPACIFIC PHILHARMONIA TOKYOの皆さん。テレビ局の音楽特番でさえ、ここまで贅沢な布陣にはならないように思います。