♦ビーチでヤクザご一行とばったり
組長の子供とピース。マルティーナ氏の運命を変えた瞬間だ
まずはなぜ日本のヤクザに興味を持ったか質問した。
「初めて日本に来たとき、ヤクザに出会ったからです(笑)。もともと高校のころから日本に興味があって、ヴェネツィア大学で日本語と日本文化を専攻しました。3年生の時には日本の現代社会や政治についても勉強したいと思い、20歳の時、日本に留学に来たんです。
休みの日、ホーム・ステイ先の東京から、友だち2人と南紀白浜まで旅行に行きました。夜、ちょっとビーチを歩いたら花火をやってる人たちがいた。男性が4、5人、女性が1人、子供が1人の集団だけど、誰も女性を『おかあさん』と呼ばない。当時は今よりももっと日本語を喋れなかったけど、異様だと気づきました。そしたら男の人に電話がかかってきて、ものすごい丁寧語で話すんです。不思議に思って訊いてみたら、大阪のヤクザの組員で、組長の子供を海まで遊びに連れてきたと説明されました」
関西ヤクザは、よく白浜のビーチに遊びに出かける。私もかつて大阪の独立組織である酒梅組幹部や東組幹部、山口組二次団体幹部らに誘われ、ビーチパーティやジェットスキーを楽しんだ。宿泊するのは海岸沿いの会員制リゾート施設か、別荘需要を当て込んで建設されたマンションで、通常の観光客と変わりない。暴排条例で会員制リゾートは使えなくなったにせよ、今のように隠れ組員が増加すると、条例の実効性には疑問が残る。
リゾート地で暴力団員が住民たちとトラブルになることはほとんどない。遊びに出た際のヤクザは、陽気でお喋りで活動的な“ザ・遊び人”であり、金払いもよく、こんなにも楽しい人種はいない。私が同行したヤクザも、外国人が興味津々の態度を見せるとよく諸肌脱いで刺青を見せたり、欠損した小指を差し出して説明していた。マルティーナ氏が、白浜海岸でヤクザと出会ったときも、牧歌的な光景だったろう。
とはいえ、彼女はヤクザの存在を知っていたのだろうか?
「映画などで観ていたから、名前は知っていたけど、まさか話せるとは思っていませんでした。その夜、刺青をみせてもらったり、『ヤクザとマフィアは違う』と説明されたり。100パーセントはわからなかったけど、ヤクザの文化や歴史も教えてもくれた。ホーム・ステイ先の東京で電車移動してる分には、平和な日本しか見えないのに、小さいけど、こうしたヤクザ組織が存在してることに興味を持ちました」
ひと夏の体験は、いつの時代も若者たちを変える。若いイタリア人女性は、こうしてヤクザのとりことなった。
【第2回に続く】
陽気なマルティーナ氏
鈴木智彦も思わずリスペクト
ヤクザ研究に邁進してほしい