「傷つけないお笑い」や「誰も傷つかない事件の記事」についても語った
お笑いは人を傷つけたり、傷つけられたりするもの
これって、僕らの世界の「傷つけないお笑い」論争とも似ている気がしました。「誰も傷つかない事件の記事は存在しないのではないか」と高橋さんは言っていましたが、僕も「お笑いの根源は傷つくもの、自分自身も含めて、ときには誰かを傷つけるもの」だと思っています。単純化して言えば、お笑いの根源は差異(違い)ですから。小さな子供は「あいつだけ小さい」とか「あいつだけ太っている」とか、それだけで笑うでしょう。
もちろん、大人にはポリティカル・コレクトネスがあるので、それを「善し」とはしないわけですが、「善し悪し」と「面白いかどうか」は厳密には重なりません。「誰かが傷つくかもしれない」という理由で、先回りして表現規制を求めるような風潮は、それこそ恐ろしいです。
なんか、そういう、テレビでは流せないザラザラした部分、ゴリッとした心のしこりみたいなものを、自分は小説にしているのかもしれません。
『小説現代』に発表した短篇小説『アブノーマル』は、発達障害の芸人を主人公に据えました。僕自身の経験か? さあ、どうでしょう。
【プロフィール】ニシダ/お笑いコンビ「ラランド」のツッコミ。1994年、山口県生まれ。最終学歴は上智大学外国語学部イスパニア語学科中退。趣味は読書で年間純文学を中心に100冊以上を読む。最近では講談社やKADOKAWAから小説を発表するなど、芸人をしながら執筆活動も積極的に行なっている。