この30年で、耳慣れなかった「スピリチュアル」「スピリチュアリズム」という言葉も、世の中に浸透した。江原さんの功績は大きい。
「私が、生きるとはどういうことなのか、大きな問いにぶつかったのは母が死んだときです。私は15歳で、父は4歳のときに亡くなっていますし、これからどうやって生きていこう、と考えざるをえませんでした」
さだまさしに『無縁坂』という歌がある。人間には運がいい、悪いということがたしかにある、と諦念が込められたようなこの歌に、江原さんは自分の両親が重なると言う。
「母の葬式に来る人来る人が『まじめに生きていればきっと報われるから』って言うんですよ。いままでだってまじめに生きてきたのに。そのときです。『人ってなんなんだろう』と大きな疑問にぶつかったのは。孤独で、世を儚んでグレてもよかったんですけど、スピリチュアリズムが私の支えになったんです」
小さいときから、江原さんには「霊能」と思える力があった。
「近所のおばさんが亡くなるって言い当てたり、父が亡くなる日にも何かを感じてまったく近寄ろうとしなかったり。父は仕事に行った先で倒れて意識が戻らないまま亡くなったので、申し訳なかったです。
母のときも、自分が葬式に参列している夢を見ました。私が遺影を持っていて、誰のだろうとのぞいたら母親の写真で。半年後ですよ、母が末期のがんだとわかったのは。余命3か月と言われ、それでも半年ぐらいは生きましたけど」
18歳、心霊現象に悩まされ、霊能者に会いに行くも……
亡くなっているはずの人の姿が見えることもあった。
「住んでいたのは下町だったんですけど、防空頭巾をかぶった親子が通学途中の交番のところにいたんです。その時代にいるはずもないのに、家族とはぐれてここにいる、とか会話している。怖いとは思わず、人は死んでも生きているんだ、とわかりました。そこに救いがあったんですね。死んでも死なないんだ、というところから、私の魂の探求は始まっているんです」
霊能は遺伝することも多いらしい。同級生のオーラにさえぎられて教室の黒板が見えなくて困ったとき、小学校に呼び出された母は、「親の愛情が足りないんじゃないか」と言われても、頭ごなしに江原さんを否定したりしなかったそうだ。
「ありがたかったですね。『誤解されるから、そういうことは言わない方がいいよ』と言うだけでした。母に霊能があったのか、スピリチュアルを理解していたかはわかりません。ただ、死ぬ前に、『18歳まではなんとかなるけど、18歳からは苦労するよ』って私に言い残していて、実際にその通りになったんです」