誕生時の体重は1200gほどだったため、すぐ保育器に入れられたが、その後は順調に成長してくれたという(提供写真)
妊娠7か月で妻が危篤状態に
医師から出生前診断をすれば染色体に異常があるかどうかがわかり、障害の有無も確認できると言われたが、“あるがまま”を受け入れようと断ったという。
生活はあえて変えず、妻は仕事を続けた。妊娠生活は順調で、7か月までは、大きなトラブルもなく過ぎていったという。ところが……。
「妊娠7か月で妻がおたふく風邪になり、そのウイルスが心臓にまでおよんで、心筋炎(心臓の筋肉の炎症)になってしまったんです。とても珍しい症例だと言われました。
自宅で倒れた妻は、7月7日に救急搬送され、緊急帝王切開手術で出産することになりました。心機能が低下しており、手術中に命を落とす危険性があると言われました」
そのときの妻は息も絶え絶えで宙を見つめており、それでもお腹をやさしくさすっていたという。
「手術室に入る直前、妻は酸素マスクをはずし、“今日この子が産まれたら、誕生日は七夕だね”と言ったんです。自分が死ぬかもしれないときに……。私は、何の言葉も出ませんでした。妻の母としての強さに対し、なんて自分は無力なんだと思いました」
その翌日、約1200gの男児が仮死状態で生まれ、すぐに保育器に入れられた。妻は危篤状態のままだった。
「赤ちゃんと妻は別病棟におり、コロナ禍で移動は難しかったのですが、医療チームのかたがたが、息子を連れてきて妻に抱っこさせてくれたんです。これは推測ですが〝最後になるかもしれない〟という思いがあったのかもしれません」
すると再び奇跡が起こった。妻は危篤状態からめきめきと回復。16日後には退院するまでになったのだという。
「母親としての覚悟と、どんなことがあっても自分もわが子も助かるという妻の強い力に、改めて圧倒されました」
もうすぐ3才になる息子はいま、すくすくと健康に育っているという。妊娠・出産は誰もが当たり前にできるものではない。奇跡が積み重ねられた末の偉業なのだ。
【プロフィール】
『夕刊フジ』編集長・中本裕己さん/45才で出産した妻の妊娠生活をつづった、『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました ─生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記─』(ワニ・プラス)が話題。
取材・文/前川亜紀
※女性セブン2023年6月1日号