◆「大盛りでお願いします」作った通常の1.5~1.8倍量のお弁当
そう語る松木さん自身も、若かりし頃はピッチャーだった。高校生の時は、春の選抜甲子園にも出場し、2番手としてベンチから応援した。社会人になっても野球を続け、後楽園球場で開かれた日本産業対抗野球大会には先発ピッチャーとして出場し、満塁ホームランを浴びた経験もある。松木さんが苦笑いを浮かべながら回想する。
「5回コールドだったかな。楽しい思い出というか苦い思い出というか。だからピッチャーは抑えなきゃいけないというプレッシャーがある。体が重いと動かないので、さっぱりめのものを提供していたんです」
大谷が試合でデッドボールを食らった時には、「頑張れ大谷丼」を提供した。
「確かホワイトソックスとの試合だったんです。ボールが当たった後、僕の見た感じでは元気がなさそうな様子でしたので、大谷丼をと思いまして」
大谷丼は、「ホームラン17」と焼き印が入った卵焼き、バットに見立てたごぼうやベースの形をした山芋などをアクセントに、海の幸で彩られた店の人気ナンバーワンメニューだ。
「大谷選手は特に苦手なものとかはなかったですね。大盛りでお願いしますと言われていたので、通常の1.5~1.8倍で作りました。生ものもそのまま出すのではなく、火で少し炙ったり、生ものが続かないように、次は火が通った弁当にするとか気をつけました」
海鮮系の弁当も、ご飯と刺身を分けて持っていった。「ご飯は30秒ほど温めると美味しく食べられます」というメモ書きを添えることもあった。そうした松木さんの心配りが通じたのか、通訳の水原さんから「めちゃくちゃ美味しかったです」「おかげさまでホームランが打てました」といったメッセージが松木さんのスマホに届くようになる。
「でもホームランってなかなか難しいんでしょうねえ。シアトルで46号を打った時は、遠征に向かう途中のバスで食べる弁当もお願いされました。それで46号を打てたのかって? それは分かりませんね(笑)」
こうして松木さんが作った弁当は、大谷がMVPに輝いた2021年から2022年にかけての25日分。試合前と試合後の2食が多かったが、たまに夜食の納豆巻きなども含めた3食を、エンゼルスのスタジアムまで運び続けた。その大谷選手が今や、米野球界屈指のプレイヤーとして連日、脚光を浴びている。
「調理をしている男冥利に尽きますね。こんなことないでしょ。25回も注文をいただいて。野球をやめてお寿司の仕事を始めて、好きで75歳までやってこられた。死ぬまでお寿司を握り続けていますよ。最近はYouTuberとかがお店の宣伝もしてくれるんです。それも大谷選手の応援になればと思います」
松木さんは今日も、仕事の合間を縫って大谷選手の姿をテレビで追っている。
取材・文/水谷竹秀(ノンフィクションライター)