再出発のきっかけは大谷翔平だという
そんな拠り所すらない入院生活でも心理的に大きな転機となる出来事があった。それが画面越しで見た“あの選手“だった。
「何もかも失ってコロナまで感染。入院中いよいよ、どん底だと思ったんですね。で、朝から起こされても何もすることがない。ボーッとしながらテレビを見ているとMLB中継でエンゼルスの試合がやっていた。これが大谷翔平なのかと。それまで名前ぐらいしか知識がなかったのに、たまたまつけたテレビで大谷選手がホームランを打って、その次の日には投手として三振をバッタバッタとる。なんて凄い青年だと驚いて、試合があれば必ず見るぐらい夢中になった。
でも、しばらくすると、あれ待てよと。僕は本来、大谷選手側にいなければいけない立場じゃないか。人に夢を与えてきた人間じゃないのかって。僕が大谷選手から勇気をもらったように、スポーツの力は人に勇気を与えられる存在ではないか。それからです。ボクシングにどうやったら戻れるのか。人生に絶望した人。若い人がどん底になっても立ち上がれるきっかけでありたいと思えたんです」
ボクシング界から離れると塞ぎ込むことも増えて、医者から鬱と診断された時期もあったという。だが、人は何がきっかけで浮上するか分からない。
「今だから明かしますが、金銭的に助けてくださる方もいました。これから恩返しをしていかないといけない。立ちあがろうとしている人に、手を差し伸べようとする人はどこかにいるんです」
こうした経緯を経て、2022年7月末、『協栄ジム』のオーナー側と和解が成立する。その1週間後だった。金平氏の元に見慣れない携帯電話の番号の着信が入る。それが、亀田三兄弟の三男、和毅からだった。
「今までは父親の亀田史郎さんや長男の興毅君を通じて会話してたので、和毅君とは個人的なやり取りがなくて電話で話したこともなかったんですよ。それが本人から直接『相談がある』と言われて初めてサシで会うことになったんです」
大阪で久々の再会となった。和毅は自身の将来を鑑みて、こう吐露したという。
「もう若くないので思い残すことのないボクサー人生を送りたい。そのために新しいジムを作りたい」
和毅の真剣さに心を動かされた金平氏。昨年9月中旬に行なわれた2回目の打ち合わせでは早速、後援者を交えて、より現実的な話し合いを重ねたという。西成区天下茶屋の出身の亀田家は、兄たちも西成にジムを構え、和毅もまた、ジムの設立を西成という自身の原点に拘った。
以降、急ピッチでジム設立とマッチメイクの段取りが進行。唯一の懸念材料は、東日本ボクシング協会から西日本ボクシング協会に転籍が認められるかということだったというが、大きなトラブルも無く転籍の承認を得られた。その直後に金平氏と和毅が開いたのが、あの記者会見だった。『TMK GYM』の設立と、金平氏の会長就任を発表したが、4団体統一を果たした井上尚弥がスーパーバンタム級に転向すると噂されていたこともあり、同じ階級の和毅にも質問が相次いだ。和毅は「一つ階級を上げるだけでも凄く変わる。勝つ自信はある」と述べ、物議を醸した。金平氏はどう思っているのか。
「井上尚弥選手との対戦ですか? 各方面が話題にしてますけど、まずは世界タイトル。一戦一戦、目の前の試合に集中しなければなりません。井上選手は、その先のことなので」
取材・文・カメラ/加藤慶
【後編に続く】