山口県連が発表した声明文
「県連が一方的に非難してきた」
2021年当時防衛大臣だった岸信夫・山口県連会長名義で出された衆院選の時の文書には、過激な発言で物議を醸してきた杉田水脈氏の比例名簿上位掲載を求める文言があったことでも注目を集めた。結果的に杉田氏は当選したが、建一氏はゆかりのない比例北関東ブロックに回され落選。翌年の参院選では自民党から全国比例代表で立候補したがやはり当選には届かなかった。
「参院選でも地元山口では県連の協力が得られませんでした。そんな状況の中、次の衆院選ではそもそも立候補のメドが立たなかった。このままでは政治家として働く可能性が潰れてしまう。そう考えて維新から出馬する道を選択しました。自民党本部には維新の発表前に(7月18日)離党届けを出して、その日のうちに受理されています。党本部とは話がついているのに、山口県連が一方的に非難してきたという感じですね」
なぜ、自民を離れてまで政治家を志そうと考えたのか?
「最初はそうでもなかったんですけど、父の秘書になって議員立法に関わったことが大きかったですね。宇宙基本法なんですけど、私もスタッフとして法案作りに携わったんです。法律ができたのが2008年で、その年に父が麻生太郎内閣の官房長官になりました。今度は官房長官秘書官として法律を施行する側に回って基本計画の策定に携わりました。そんな経験から、法律を作ることは国家を作り、未来を創ることなんだと思うようになった。自分も将来、政治家として未来を創る一翼を担いたいと考えるようになりました。そのためにも今もっとも訴えたいのは、未来を担う子どもたちすべてに行き届く子育て支援策ですね」
出馬する東京6区への想い
官房長官秘書官をしていたことで、政治の世界の“別の側面”も学んだという。
「首相官邸に入って感じたのは、権力の怖さですね。その気になれば“相当すごいこと”ができてしまう。内閣情報調査室なんかを使ってね。権力は常に暴走する危険性をはらんでいるんだな、と理解した。その権力をいかに抑制的に働かせるかも政治家の仕事なんだと感じました」
とはいえ、多くの有権者が東京6区(世田谷区の北西部)から出馬することに対して、「縁もゆかりもないのに、政治家になるために選んだ」と批判の目を向けるだろう。なぜ、この選挙区なのか。