湯川氏の次兄・湯野川守正氏。1945年3月、宇佐基地にて。当時大尉
神立:次兄の守正さんは昭和19年8月に特攻隊に志願、10月には神雷部隊に配属されています。その頃のことは覚えていますか。
湯川:私と母と姉は米沢の祖母宅に疎開していました。ある日「今日は大切なラジオを聴きましょう」と言われ座らされました。時間になると次兄の「ただいまからお国のために戦ってまいります」という元気な声が聞こえて、母もそれが息子の最後の声だとわかっていたはずですが、涙ひとつ見せませんでした。
神立:守正さんは人間爆弾ともいわれた「桜花」の分隊長になられますが、出撃のないまま終戦を迎えています。しかし、さらに密命がくだり、島根県の温泉津という町で「海軍一等整備兵曹・吉村実」として、潜伏生活を送ったと聞いています。ご家族からすると、戦争に行ったまま行方不明だったわけですよね。
湯川:はい。次兄は戦死したものだと思っていました。母は夫が亡くなり、長男は戦死、次男も特攻隊でしたが、一切泣きませんでした。後年、私が母に泣かなかった理由を聞いたことがあります。すると「世の中の人たちがみな同じ思いをして戦っているのに、軍人の妻が泣けるわけないでしょう」と。
神立:軍人の妻だという覚悟を強くお持ちだったんですね。
湯川:だから私は、母に言いました。「私は泣きわめく女になります。自分の子供が戦争にとられて死んでいくのを、平気な顔をして見ていられる親にはなりたくない」と。それを聞いた母は「そうなれたら本当にいいわよね」と言いながら、初めてぽろぽろと涙をこぼしました。
(後編に続く)
【プロフィール】
湯川れい子(ゆかわ・れいこ)/1936年、東京都生まれ。1959年、ジャズ専門誌『スイングジャーナル』への投稿が評判を呼び、ジャズ評論家としてデビュー。早くからエルヴィス・プレスリーやビートルズを日本に広め、現在も独自の視点で国内外の音楽シーンを紹介し続けている。作詞家としても多くのヒット曲を手がけ、訳詞、翻訳家としても活躍。
神立尚紀(こうだち・なおき)/1963年、大阪府生まれ。1995年、戦後50年を機に戦争体験者の取材を始め、これまでインタビューした旧軍人、遺族は500人を超える。『祖父たちの零戦』、『特攻の真意 大西瀧治郎はなぜ「特攻」を命じたのか』など著書多数。NHK朝ドラ『おひさま』の軍事指導など映像作品の考証、監修も手がけている。
※週刊ポスト2023年8月18・25日号