大柄でがっちりした悌子と、ひょろひょろした権蔵。見た目からして対照的な2人だ。
「悌子をやり投げの選手にするのは最初に決めていました。いろんなスポーツの中で、やり投げは比較的早くから女性選手が活躍していたんです。権蔵さんは、性格的にひねくれものというのだけ思い浮かべていて、悌子と並ぶのを考えてひょろひょろとした人に。幼なじみの清一が野球選手だから、正反対のタイプというのも意識しました」
悌子が漫画の「タンクタンクロー」を彷彿させるとか、あだなが「ダイダラボッチ」であるとか、当時使われていたであろう、絶妙な表現がくり出されるのがおかしい。
「比喩表現は、時代ものを書くとき一番苦労するところで、楽しい部分でもあります。たとえば、今なら『キムタクみたいな髪形』と書きたいところもそうは書けないので、じゃあどう表現するか。難しいけどいろいろ工夫しがいがあります」
悌子が国民学校の代用教員であるのに対して、権蔵がかかわるのは当時の主要メディアであるラジオだ。機材の運搬にかかわったことがきっかけで、権蔵は番組制作に携わるようになる。
「戦争で、教育は大きく変わったので、国民学校の教育は今回書きたいことのひとつでした。不器用な悌子さんは、国の考えに従ってしまう。一方で、メディアで働く人の中には、こんな戦争は早く終わらせたほうがいいと思っている人もいましたし、権蔵もニュートラルな考え方で、当時の考えにそれほどのみ込まれていません。両極端な場として学校とラジオを書きました」
史実にもとづいて舞台を綿密に書かないと嘘っぽくなる
悌子と権蔵、息子の清太、血のつながらない親子が家族になっていく物語でもある。
「戦争中に親を亡くして孤児になった子どもは多いですし、自分で育てられなくて子どもを手放した人も少なくありません。ステップファミリーの物語を書こう、というのは初めから決めていました。血のつながりは大きいけど、血がつながっているから心が通じ合うかといえば必ずしもそうではない。ステップファミリーというとDV(家庭内暴力)とからめて語られることもあるけど、そうではない形を書こうと思いました」
プロットに従って書き進めることはしない。最初に全部決めてしまうと登場人物が作者の言いたいことを伝える人形のようになる気がするので、物語の設定と登場人物を決め、彼らが自由に動くのを観察する気持ちで書いていく。そのかわり、背景となる史実は徹底的に調べ上げる。