『逆説の日本史 第二十二巻 明治維新編』でも述べたように、西郷隆盛が西南戦争という挙兵に踏み切った大きな原因の一つに、長州人を中心とした維新の功臣たちの恥知らずとも言える汚職があった。また海音寺潮五郎は前掲書で、「国会開設の運動、自由民権の運動がおこったのも、ここにその最も大きな原因がある」と喝破している。山県有朋も、日本史上最大の汚職事件「山城屋和助(この男も長州人)事件」への関与が疑われたことは、同じ第二十二巻で述べたとおりだ。

 わかりやすく言えば、西郷は「維新を成し遂げるのにどれだけ多数の同志が犠牲となったか忘れたか! 彼らの霊に対して申し訳ない」という心情だったと思うのだが、ひょっとしたら井上は(あるいは山県も)、「高杉も木戸も死んでしまったが、彼らに代わってこの世の楽しみをきわめることこそ供養になる」と考えていたのかもしれない。だからこの問題は単なる個人の「豹変」や「変節」では無く、「長州人の汚職好み」が日本史に多大の影響を与えていたという点がポイントなのである。

 前にも述べたが、長州人には独特の「カネへの汚さ」があって、そこが西郷ら薩摩人、江藤新平ら肥前人とまったく違うところである。私が共同研究を期待する理由がおわかりだろう。

「戦地局限」を条件に参戦を承認

 とにかく、まさに第一次世界大戦が勃発したこの時点で、日本の元老の頂点に井上馨が君臨していたことは、後の大日本帝国の没落を見れば大きな不幸だったと言えるだろう。この時期の井上は日本を代表する貪官汚吏であり、私利私欲の権化と見てもさしつかえない。よりによってその井上が、伊藤博文が始め西園寺公望が引き継いだ「穏健外交派」が外務省政策局長阿部守太郎暗殺で大打撃を受け、山本権兵衛内閣が「金剛・ビッカース事件」で崩壊した時点で元老の頂点に君臨していたのである。

 山本内閣が崩壊した直接のきっかけは汚職だが、その背景には穏健な外交政策に対する民衆の不満があった。それを『東京日日新聞』などが「戸水博士の主張が正しい」などと繰り返し扇動した結果、まさに日本の世論は「支那討つべし」の方向性を持っていた。それでも、いくら袁世凱の中華民国軍が民間の日本人を虐殺した南京事件があったとはいえ、「ドイツの膠州湾事件を見習うことは火事場泥棒であり絶対にすべきではない」という主張には良識と正当性があった。

 なぜなら、膠州湾事件は一八九七年(明治30)の出来事で、この時代の中国はまだ清国の時代であった。西洋近代化を野蛮の極致と決めつけ、世界の中心は中国だと自負し近代的な外交関係を結ぼうとしなかった帝国である。この時代なら軍事力で押し切ることもやむを得ないという考え方は成立した。膠州湾事件をドイツが外交的交渉で解決できた保証は無いし、いわゆる「北京の55日」もそうした状況下で起こり、解決には列強の軍事力の行使が必要だった。また、朝鮮国の独立を頑として認めない清国に対し、日本は日清戦争を仕掛け勝つことによってようやく認めさせた。だから清国の時代は、そうした軍事力の行使も正当性が無いわけでは無かった。

 しかし、その清国は孫文らの民主革命派によって打倒され、当時は中華民国という共和国に生まれ変わっている。その指導者袁世凱は、民主派を弾圧しており決して完全な民主国家とは言えないが、近代国家であることには間違いない。だから膠州湾事件のような火事場泥棒はすべきでは無く、「近代国家中華民国」とは何事も外交で解決すべきだという意見は、良識と正当性を持っていたのである。

 相手の意見が正当性を持っている場合は、論破するのは難しい。だからこの際、中国の一部を奪ってしまえという強硬派から見れば、「この壁」をなんとか乗り越えられないか切歯扼腕していたのである。そこへ第一次世界大戦が勃発し、イギリスが参戦した。前半で述べたように、中国への軍事行動が正当化され、逆に穏健派の批判が通用しなくなった。井上馨ら強硬派がなぜ狂喜乱舞したか、これでおわかりだろう。

 尾去沢銅山事件の時は、銅山の正当な所有者村井茂兵衛から強引に銅山を奪い、厚顔無恥にも「従四位井上馨所有地」という看板を立てさせた井上である。それにくらべれば、中国に「大日本帝国所有地」という看板を立てることなど当然だと考えていただろう。

 前にも述べたように、日本の中国進出には「明治天皇の大業を継承する」という心理的大義名分がある。さらに、当時の中華民国は正統なる革命家孫文では無く、「悪人」袁世凱が支配している「悪の帝国」である。これが必ずしも日本人の一方的思い込みでは無いことは、袁世凱が民主派のリーダー宋教仁を暗殺した事実によっても確認できるだろう。孫文も弾圧されている。さらに、この時点で袁世凱の中華民国は日本に対して南京事件も起こしているのである。

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