笠置シヅ子のモノマネで脚光を浴びた美空ひばり(写真/共同通信社)
「服部さんはブギを楽譜に起こし、笠置さんに提供した。しかし、戦時中には外国の音楽は『敵性音楽』として禁じられていた上、戦後まもない当時、本場のブギを教えられる人なんていない。特に難しいのがリズムの習得です。ブギのリズムはそれまでの日本にはないもの。笠置さんは必死に自分で研究を重ね、笠置流のブギを作りあげていった」(同前)
だが、そこに彗星のように現われたのが、“天才少女”ひばりだ。
「笠置さんから、『急に出てきた子どもが歌って“ブギってこういうものか”と思われたら困ると思っていた』と言われたこともあります。まだ年端もいかない子どもに、上手く歌われたら腹が立つ。でも、下手に歌われても『ブギってこんなもんじゃない!』と。努力に裏打ちされたブギに対しては揺るぎない“プライド”があったのです」(同前)
一方のひばりにも言い分があった。
「まだ子どもだった彼女からしてみれば、ブギも流行歌も歌は歌。『歌なんだから、誰が歌ったっていいじゃない』というところです。その認識のズレが、周囲により『ケンカ』のように捉えられたのでは」(同前)
「確執」は世間を騒がせたが、本人たちは、事態を重く捉えることなく、笑い飛ばしていたという。
「ひばりさんは後に『ああいうときに私がちゃんと笠置さんに会いにいっていればよかったのよねぇ』なんて言うし、笠置さんは『ワテが直接言ったわけではないことが、いきなりバーッと記事になる。ワテがまるで強く言っているみたいや』って笑ってました。
笠置さんは、『ひばりさんは歌は上手いのよねぇ』と認めていました。一方、どこかで『自分より上手く歌われたらしゃくだ』ということもあったと思う。それは歌い手だけが持つ独特の感性で、どうしても音楽家同士がぎくしゃくしてしまう理由なのだと思う」(同前)
※週刊ポスト2023年10月20日号