笠置シヅ子と美空ひばりの歴史
それも、「娘を思う母心あって」のことだろう。また、戦前から芸能界での下積みや不遇の時代を経て、スターの地位を手に入れた笠置には、「自分が何をいっても、どうにもならないとわかっていたから、噂を否定することもせず、それで通説が広まっていったのでは」(砂古口氏)というのだ。
10年近くに及んだ2人の確執は、1956年、演出とも見える和解会見によって手打ちとなった。その後、ひばりは「国民的スター」として光り輝き、1957年には紅白で初の大トリを務めた。一方、笠置はその年、43歳のまだまだ人気絶頂の中で「歌手廃業宣言」をし、女優業に専念する。
時代の移り変わりの象徴
『昭和の流行歌物語│佐藤千夜子から笠置シズ子、美空ひばりへ』(展望社)の著書を持つノンフィクション作家の塩澤実信氏が言う。
「戦後の混乱期に突如現われた笠置シヅ子は眩い光を放っていた。しかし、1950年代半ばともなると、あれだけ日本を熱狂させた『ブギウギブーム』も急速に萎んできました。その頃、笠置に代わってスターとなったのが美空ひばりで、当初は『笠置シヅ子のイミテーション』に過ぎなかったひばりは、歌謡界だけでなく銀幕でもスターとなり、スターの位置はとって代わられた。この世代交代は、昭和という時代の移り変わりの象徴でもあるようだ。
ブギウギブームの頃には、人々は食べ物にも困り、ハングリー精神にあふれていましたが、朝鮮戦争の特需景気で先の見えない時代にも光が差してきたことを象徴するかのように、『美空ひばり』という新たなスターが世間に熱狂をもって受け入れられたのでしょう」