一軍と二軍の監督なのに「ほとんど話したことがない」
野村氏自身、現役時代は大打者でもあったが、「ON(王・長嶋)はヒマワリ、私は月見草」という言葉を残したように、陽の当たるスター街道を歩んできたわけではないという自覚があったのだろう。なにより、球史に残る名捕手として知られ、そのキャリアが監督として活きたと考えているからこそ、(捕手以外の)野手出身監督に厳しい評価があったのだろう。ただし、内野手出身の監督についてはこう話していた。
「内野手は横の連絡、外野との連絡を取っているので、捕手ほど細かいことを見ていないだろうが、総合的な視野でみることはできる」
そのうえで、名監督の条件についてこう付け加えるのだった。
「やはり信頼度じゃないかな。選手との信頼度、スタッフとの信頼度。どこまで信頼されているか。この人についていけば間違いない、と思われるか。巨人でV9を達成した川上哲治さんもそういった信頼度のある監督だった」
今季、阪神を日本一に導いた岡田氏は内野手出身の監督だが、「野村語録」に負けないインパクトの「岡田語録」で選手を鼓舞し、シーズンが進むにつれて選手の不安は自信に変わっていった。日を追うごとに、野村氏が「名監督の条件」に挙げた信頼度を増していったように見える。もし、野村氏が存命であれば、高く評価したのではないだろうか。
野村氏が阪神の監督だった1999年から2002年の3年間、岡田氏は二軍監督として野村監督の戦いぶりを見ている。この3年間で野村氏から学んだことも少なくない。野村氏が亡くなった2020年のシーズンオフ、岡田氏は本誌の取材に対して当時の野村氏との関係をこう話していた。
「ほんま、おかしな関係やったで。一軍と二軍の監督の関係やいうのに、野村さんとはほとんど直接話したことがなかったんや。二軍から選手を上げる時も、ヘッドコーチと相談しとった。そやから会うのは、シーズンの開幕時、オールスター休みと納会の時ぐらいや」