聖教新聞上の池田氏の写真サイズはまちまち(2015年11月18日付)
池田氏の不在は、集票マシンとしての創価学会の機能を鈍化させる。
「かつては先生の一言で組織は動いた。でも先生の発言がないと、過去の発言を引用して“こう言っていた”と伝えるしかない。でも、それで“動いて”と言うのはちょっと無理があるよね」(前出の男性経営者)
そもそもなぜ池田氏は表舞台から姿を消さなければいけなかったのだろうか。2010年時点の池田氏にどんな変調があったのか。学会関係者が語る。
「当時、先生は口をもごもごすることがよくありました。“入れ歯がちょっと”ともいうので、『噛み合っていないのかな』と。体調を崩しているとは見えなかった」
池田氏に代わって学会員を惹きつける新しい材料がなかなか提示できない中、学会の機関紙・聖教新聞では、数年おきに、池田氏の近影付きの記事が掲載されていた。
ただ、年を追うごとに紙面での池田氏の顔は次第に小さくなっていく。直近の掲載は2019年に竣工した聖教新聞の新社屋を池田氏と妻・香峯子(かねこ)氏で視察した時のものだ。離れた位置から撮られていて、掲載サイズも小さく、池田氏の顔は実に本文の1文字程度のサイズだ。
年を重ねた姿を伝えたくなかったのか。創価学会広報室に理由を問うても、「お答えしません」とするのみだった。
ガードする男たち
さらに、学会本部職員OBから「先生は少なくとも2015年ごろまでは週に何回か限られた幹部と会っていた。大事な場面では判断を伝えることもあった」という証言が得られた。8年前まで“健在”だったというのだ。
池田氏の長男の博正・主任副会長は11月18日公開の動画で、香峯子氏の話として「10年以上前に(略)幸いすべてを託してバトンタッチできました」と述べたが、証言が事実なら運営に一定の参画があったことになる。
前出のOBによれば池田氏の見解をめぐり組織がざわつくこともあった。
「1991年に信徒団体としての創価学会を破門にした日蓮正宗の本山(大石寺)には、学会員がずっと信仰対象にしてきた大御本尊があります。ただ、破門され宗教的に独立した以上、もはや信仰対象から外すべきか、いや時期尚早ではないかという議論が長年の懸案としてあった。原田現会長の執行部は2014年に対象から外すと決めましたが、池田先生は本当に方針を認めたのか、懸念する声が学会員のなかにありました」