タトゥーOKにしたら来店者がタトゥーのある人ばかりになった(イメージ)
自由とは何か、という論戦に飛び込んでいくつもりはないが、突き詰めていくと自由とは、相手の権利も、自分の権利も認めることに他ならない。したがって、相手の自由を許さない自身の自由は存在し得ないわけだが、先に登場したアパレル店店長の清水さんは「今世間で言われているような”自由”は、結局単なる自分勝手にしか見えない」と喝破する。
「私もタトゥーが好きですが、近所にできたタトゥーOKのサウナは、今や、普通の人、タトゥーや刺青がない人は入りにくいとまで言われるようになりました。タトゥーの人がいると怖いと、一般の方は思っちゃうわけです。怖がるな偏見だと言っても、実際に暴力団と言われる人たちは刺青だらけだし、テレビニュースに映る犯罪者がタトゥーまみれであることも少なくない。本当にタトゥーや刺青が文化だと主張するのなら、その文化を毀損する人たちを我々が批判しなければならないのに、我々を排除するな、差別だという。極めて自己中心的であり、まさに自分勝手なのです」(清水さん)
勝手な解釈の自由を声高に主張する人たちのせいで、自由が制限されることにもなりかねない。結局、履き違えた「自由」の先に待っているのは、以前よりも厳しい「束縛」が存在するのだ。