サングラスで歩く博多大吉
そんな背景もあって、福田市長が謝罪した翌月の11月4日、博多華丸さんはレギュラー出演しているラジオ番組の中で、受け止められ方は「言う人、言う場面、状況とかにもよる」と前置きしつつ、「そんぐらい、いいっちゃないと?と、俺は思うけどね」と話しました。深い見識が伺える素晴らしいコメントです。
騒動はこれで終わりません。発言からしばらくたった12月14日、中間市議会は福田市長に対する辞職勧告決議案を賛成多数で可決しました。決議に法的拘束力はなく、福田市長は「市民の信頼を失ったとすれば、信頼を回復するため、全力で市政運営の責務を果たしていきたい」と続投する考えを表明しています。
福田市長が議会に嫌われているのか、地元の評判はどうなのか、そもそも福田市長がどういう方なのかは、まったく存じ上げません。ですが、そのフレーズが原因で「辞職勧告決議」を出されてしまうというのは、もはや笑い話です。議会で可決されたということは、「さすがにバカバカしいのでは」と思わない議員のほうが多かったわけですね。
このフレーズやこれを使った人を非難する行為には、見識も思考力も必要ありません。「セクハラ」とか「女性蔑視」といったわかりやすくて反論しづらい正義の論理を当てはめて、「嫌な思いをする女性がいるかもしれない」と妄想の被害者を仕立て上げれば、意識が高くて良識にあふれた自分が“悪”を成敗する美しい図式の出来上がりです。
しかし、本当に「セクハラ」などの言葉で攻撃する必要がある発言でしょうか。嫌な思いをする女性がたくさんいるのでしょうか。不愉快だと眉をひそめる人がいたとしても、「そうですか。お口に合わなくて失礼しました」でいいんじゃないでしょうか。
それよりも「挨拶と~」というフレーズを“悪”とすることの弊害を考えてみましょう。まず危惧されるのは、華丸さんが言うところの「そんぐらい、いいっちゃないと?」の精神が失われていくこと。人間は誰しも不完全で、くだらなさを抱えた存在です。人のそういう部分は鼻で笑っておく心の余裕がなくなると、あるいは鼻で笑うことを禁じられてしまうと、世の中も人間関係もギスギスしたものになるでしょう。