一年間、どう生きたかの証
談志が亡くなったのは東日本大震災に揺れた2011年の秋のことだった。今となっては2007年の『芝浜』は、ひとつの到達点でもあった。志らくが回想する。
「あの後も何回か『芝浜』をやるにはやりましたけど、病でしゃべれなくなっていたのもあってボロボロでしたね。一回満足しちゃうと、それを超えるものってなかなか出てこないんでしょうね」
談志は生前のインタビューで、あの日の『芝浜』についてこう語っている。
〈出来過ぎただけにもうやりにくいねぇ。それと、ふっと考えてやったことは二度目にやるともうふっと考えたことでなくなるから、それにもう飽きちゃうわけね〉(「TOWER RECORDS ONLINE」2010年7月27日配信)
2007年暮れの独演会の後、談志はこんな風にも語っていたという。
「不思議だよな。談春も志らくも来てたんだ。あいつらは、あの『芝浜』を聴いてたんだよ」
もう、談志の生の『芝浜』は聴けない。だが、その血は、間違いなく談春や志らくの体の中に流れている。
現在、年末のよみうりホールの独演会は志らくが継いでいる。その年によって『芝浜』をやったりやらなかったりしたが、今回から10年の間は毎年、『芝浜』を演じることに決めたのだという。
「談志の13回忌でもあったし、自分が還暦を迎えたというのもある。作家の色川武大先生が落語家にとっていちばんいい時期は60代だと言っていたので、69歳になるまでは自分なりに『芝浜』にアプローチしてみようと思っています」
談春が初めて客前で『芝浜』を演じたのは2008年6月、歌舞伎座という大舞台で開催された談志との親子会でのことだった。あの伝説の一席から、およそ半年後のことでもある。そのときの談志はすでに病魔に体をむしばまれ、ほとんど声が出ない状態だった。談春が思い起こす。
「あのとき、談志に『俺の前で芝浜をやりやがったな』って言われたんです。ものすごい目で。弟子にケンカを売られたと思ったのかな。『芝浜』は私が継ぐので大丈夫です、と言われたと。そうとらえてもおかしくない状況でしたからね」