2020年に長野県安曇野市に移住した篠原さん
「僕が早朝から作業していると『毎日頑張ってるね!』と声をかけてくれるようになりました。初めは嫁さんと2人で、土日は長男、夏冬の長期休みは次男三男が手伝いに来て、家族総出で手作業でしていました。そしたら『いくら柔道やって力が強いといっても重機を使わないと、作業は終わらんよ』と周囲の農家の方が重機や運搬車を貸してくれるなど、本当にいろいろ助けてもらいました。『今時は農業も機械だぞ』と言われました(笑)」
土壌の整備に1年、翌年に苗を植え、昨年夏が初めての収穫だった。100キロ超級で活躍した柔道時代のように、ブルーベリーの「大きさと味」には手応えを感じている。
「まだ収穫量は少ないですが、お世話になった方たちに配り喜んでもらえました。問い合わせもあり、地元のホテルや横浜のケーキ屋さんなどにも購入していただいています。でも、僕も意地があるので『柔道の篠原が作ったブルーベリー』だから買うというのは嫌なんです。手間暇かけて、こだわって作っているので、食べて納得してもらって、そのうえで『あの篠原が作ってるのか』と知ってもらえたらいいですね。
まだまだ改良の余地はありますが、大きさや味は負けていない自信もあります。来年再来年には出荷量も増えますし、桃の栽培も始めたので楽しみにしてください」
取材を終えて地元を歩く篠原さんに、道行く地元の人が声をかける。その大きな後ろ姿は地域にすっかり溶け込んでいる。「世紀の誤審」で銀メダルとなったが、農業で金メダルを目指す篠原さんだった。
(了。前編から読む)