叡敦さんの姉が見た「火傷」のあと
2015年4月、叡敦さんは火傷を負った。のちに叡敦さんが取り寄せた診断書には「右前腕II度熱傷」と記されている。原因はA氏からコーヒーをドリップした後の熱湯を含んだ粉を投げかけられたことだという。
「患部の手首は骨が少し見えていて、医師からは皮膚移植を勧められた」と叡敦さんはいう。A氏は病院まで車を運転したが、叡敦さんの傷の心配をする様子はなく、外で待つA氏の機嫌を損ねたくないという思いから、叡敦さんは医師には入院や手術を伴わない治療にするよう願い出たという。
叡敦さんはこの月の下旬、数年ぶりに、離れて暮らす姉と兵庫県で会う機会があった。「肉親からのLINEの連絡に全く答えなければ怪しまれる」というA氏の判断で、A氏が運転する車で瀬戸内海を渡った。その時、袖口に少しのぞいた包帯に気づいたという姉はこう証言する。
「妹(叡敦さん)は『ちょっと火傷して』と言い淀むんやけど、なんでと聞いてくと『毎日きて』という医者の指示も断ったんやて。大僧正に紹介されたお寺で働いていると聞いていたけど、きちんと治療させない寺なんておかしくないか、と問い詰めたんですわ」
寺から離れるよう諭す姉に、叡敦さんは「辞められない」と頑なだった。「泊まっていけば」の誘いにも、「近くで住職が待っている」と応じず帰っていった。
口をつぐんだ胸の内について、叡敦さんの申告書に添えられた陳述書にはこうある。
〈Aはしょっちゅう私に怒鳴ってきました。何がきっかけになるのか全くわからず、私は四六時中ビクビクして毎日を過ごしていました〉
インタビューで叡敦さんは「大ごとになれば宗門を傷つけてしまうと思った」とも語った。そうならないかたちで解決できる相手を別のところに求めていた。A氏の師匠であり、母のいとこのB大僧正である。「阿闍梨にA氏を止めてもらうしかない」と決意した叡敦さんは2015年9月には便箋28枚に及ぶ直訴の手紙を届けた。しかし、B氏は対応を取らなかった(筆者の取材に対し、B氏は手紙について「読んだかもしれんのだけれども、ただ記憶がもうひとつね」と回答)。