「あまり我慢しないで」
水谷も出演したことがある番組で、日曜の昼間からお色気コーナーを放送していたのが、『スーパーJOCKEY』(1983年1月~1999年3月/日テレ系)だ。「熱湯コマーシャル」は宣伝をしたい芸能人や一般人(女性が多い)が円筒状のカーテンの内側で水着に着替え、熱湯風呂に入って我慢した秒数だけ宣伝ができるコーナー。着替え時間は短く、タイムオーバーするとカーテンが落ちるのでお色気ハプニングが起きる可能性がある。生番組で編集がきかないから嫌でも期待が高まった。水谷が語る。
「生着替えはよく覚えていて、ガチで水着に着替えました。生放送だし見えては絶対ダメなので、危ないときは天幕の上からタオルが飛んできた。あの熱湯も本当に熱くて、私は自分の宣伝がしたいから時間いっぱいまで我慢できちゃったんです。そしたら2回目に出るときにスタッフから『お湯から飛び出して(用意してある)氷を当てている姿がサービスショットになるから、あまり我慢しないで』と教わりました」
昭和のテレビで、お色気番組は確かな存在感を示していた。作家の亀和田武氏はこう語る。
「私が司会をしていた頃は、時代の空気が上り調子の右肩上がりで、バブルに向かっていく元気があった。そんななかで各局ともこぞってお色気深夜バラエティを作り、次第に社会派の話題や大人のカルチャーも伝える落ち着いた大人のお色気番組に変わっていった。広い意味での文化情報を大義名分としてお色気情報もそのなかに入れていましたが、こうした番組作りは手間がかかります。
今はネットで簡単にエロを観ることができますが、地上波のエロは意味合いが違います。地上波でこその質があり、エロで下品でありながらも、その底にひねったニュアンスがありました」
もう二度と戻ることのない時代の記憶である。
(了。前編を読む)
※週刊ポスト2024年3月22日号