洋風のドレスを着てアメリカのジャズを歌い続けた歌手淡谷のり子が「非国民」にされてしまうという状況下で、「もうダメだ。降伏しよう」などと言い出せば、誇張では無く殺されてしまう。だからこそ、沖縄でアメリカ軍を阻止しようという無謀な作戦「沖縄戦」も決行された。
〈おきなわ-せん〔おきなは-〕【沖縄戦】
第二次大戦末期、沖縄本島およびその周辺で行われた日米の激戦。昭和20年(1945)4月の米軍上陸から約3か月にわたる軍民混在の激しい地上戦のなか、集団自決強制、日本軍による住民虐殺なども起こり、県民約10万人が犠牲となった。〉
(『デジタル大辞泉』小学館)
この作戦でもっとも重大なことは、民間人が戦わされたということである。だからこそ本来戦争で戦う必要の無い普通の県民が十万人も犠牲になったのである。国際法の常識から言えば、戦争は軍人の仕事で民間人は非戦闘員だから死ななくてもいいはずなのである。しかし、実際には女学生まで看護要員に動員され多くが犠牲となった。「ひめゆり学徒隊」の悲劇である。
この沖縄戦は民間人を無理やり戦争に動員したもので、国際法違反というか国際常識に反することは間違い無い。だからこそ戦争末期に戦場で父を失った政治家古賀誠自民党元幹事長は、かつて中日新聞のインタビューに対して次のように述べた。
〈「先の四年間の戦争で三百万人が犠牲になったが、大半が最後の一年間で亡くなった。(中略)私の父もだ。まさに政治の貧困。あそこでやめていれば原爆も東京大空襲も沖縄戦もない」〉
(『中日新聞』2019年8月12日付朝刊)
古賀のこの言葉は、以前『逆説の日本史 第25巻 明治風雲編』でも紹介したが、つまり人類の常識で考えれば「最後の一年間」はやるべきでは無かった、ということなのである。その分析はまったく正しい。ただし、申し訳無いが、その原因は「政治の貧困」というよりは「信仰」の問題だ。もし政治の貧困が原因ならば、「オレは戦争なんかしたくない」という不満分子が必ず反乱を起こすはずである。人間誰だって死ぬのは嫌だからだ。
しかし、実際には女学生に至るまで戦闘に参加し逃亡する人間などほとんどいなかった。だからこそ陸軍は本土決戦を考えていた。長野県の松代に大防空壕を掘って天皇を動座し、大本営を作る計画が進んでいた。「三船敏郎版」でも「役所広司版」でもいいが、映画『日本のいちばん長い日』を観た方なら、原爆が広島そして長崎に立て続けに二発も落とされた段階でも、昭和天皇の玉音放送を阻止し戦争を続けようとしていた陸軍将校たちが少なからず存在したのをご存じだろう。
もちろん、あれは実話である。注意すべきは、軍隊の総司令官である昭和天皇が「降伏する」と言っているにもかかわらず、彼らはその意向を無視しようとしたことである。天皇絶対なら、それはあり得ないことではないか。そうでは無くて、「十万の英霊の死を無駄にしない」ことが現実の天皇の命令より優先するのである。それが日本だ。