きよしくんにはさよなら
茶髪でピアスをした氷川が歌う股旅物は老若男女の心をとらえ、瞬く間にミリオンヒットを記録。その後も『大井追っかけ音次郎』や『きよしのズンドコ節』などのヒット曲を連発した氷川は“演歌界のプリンス”の名をほしいままにした。
「デビューした年にNHK紅白歌合戦に初出場して以来、22回連続で紅白に出場した氷川さんは国民的歌手として不動の地位を築きました。“自分らしく”やりたいようにやらせてくれた先代の長良会長への恩義は片時も忘れたことがないそうです。それだけに長良氏が急逝したときは誰よりもショックを受けていたといいます」(前出・芸能関係者)
精神的支柱を失った氷川の心は大きく揺れ動き、次第に演歌歌手、男性歌手として活動することへの複雑な思いを吐露するようになった。
「苦悩する本心を隠さなくなり、『30代の頃は朝起きたら“氷川きよしになる”ことがつらくて眠れなかった』と打ち明けたこともある。演歌界の貴公子と呼ばれることに抵抗を覚えていたようで、2019年の紅白では囲み取材で『(これからは)きーちゃんらしく。きよしくんにはさよなら』と発言し、報道陣を驚かせました」(芸能リポーター)
同年の紅白で、氷川は「紅白限界突破スペシャルメドレー」を披露し、着物で一節歌った後、黒いラメ入りの衣装に着替えて『限界突破×サバイバー』を熱唱。ヘッドバンギングしながら、激しくロックを歌う姿がお茶の間の度肝を抜いた。
「既存のイメージとの“決別”を宣言した氷川さんは呼び名を自ら“キー”に改めた後、自然体で生きるという意味でnaturalを加えたKIINAと名乗るようになりました。10代の頃から自分らしさを追求してきた氷川さんにとって、社会がつくり上げた固定観念やジェンダーを超えることは積年の願い。『60才になってズンドコは歌いたくない』と本音を漏らしたこともあり、演歌路線にこだわる前事務所とは、いつしか考え方にズレが生じるようになっていたようです」(前出・芸能関係者)
水森氏が続ける。
「彼は昔からセルフプロデュースに長けているんです。普通なら一度売れれば、同じやり方であと何年は食べていけるかなと思うものですが、彼に限ってそんな考えは毛頭ない。豊かな発想で歌い方や見せ方を工夫して、新しいことに次々挑戦するんです。
ぼくは長良さんの事務所に氷川を預けたつもりだったので(独立には)多少残念な気持ちもありますが、自分で決めた道なのだから、やり遂げてほしい。これからは次世代のスターを育てるような立場になってもらいたいですね」
5月上旬の昼下がり、氷川はスタッフとともに都内の大型スーパーに出かけていた。黒いキャップをかぶり、白いTシャツにベストを羽織ったスポーティな装いで足元も軽い。本誌記者が声をかけると「事務所の人に話さないように言われてるの」とすまなそうな顔で話したが、復帰前と印象は変わらず、表情も晴れやかだった。氷川が”東京の母”と慕う作詞家で音楽評論家の湯川れい子さんが言う。
「氷川さんは日本にとってすごい大事な歌い手さん。100年に1度出てくるかどうかというぐらいの素晴らしい才能と声を持った人です。待ってるお客様がたくさんいらっしゃるし、誰に気兼ねすることもなく、思いっきり羽ばたいてみんなを喜ばせてほしい。決して簡単なことではないと思いますけど、頑張ってほしいですね」
8月に復活公演を行った後、10月には全国の劇場を回るという氷川。「初心を忘れず、自分らしく、歌い続けていきたい」と意気込む、新生氷川のさらなる“限界突破”をファンならずとも待ち望んでいる。
※女性セブン2024年5月23日号