時間のとらえ方も様々な形がある

 中でも読み所は、〈私の体の中には複数の時間が流れている〉〈ある場所の過去と今。誰かの記憶と経験。出来事をめぐる複数からの視点。──それは私の小説そのものでもある〉と帯にも引かれた感覚を作家自身の言葉を通じて追体験できること。それらの感覚は従来の柴崎作品に形を変えて描かれており、本書を読むことでさらに腑に落ちたり読みが深まったり、あまりの豊饒さに心が震えるほどだ。

「私自身が小説を読みながら、時間や場所のとらえ方も描き方も様々な形があると学んできました。最初の頃はシーンしか書けなかったんですが、例えば山崎ナオコーラさんの『カツラ美容室別室』の中の一文を読んで、おー、小説は短い中にも違う進み方の時間を書けると感動したり、作家になってからの方が感度は上がった気がします」

〈「違い」は「できる/できない」、もしくは「優/劣」とされがちだ〉とある。が、実際は違うから「できる」ことも多く、例えば日常という言葉や〈今、ここ〉に関する感覚が違うからこそ、柴崎氏の文学は生まれた。

「特に今は『○○はできて普通です』という普通枠の〈圧〉が強くなる一方で、向き不向きじゃないのかとか、努力してできない場合はどうするのかと考えたり教えたりすることは少ない。

 私もできないことは多いけれど、ただそれもマイナスがあるからプラスもあるというよりは、両方同時にあるって感じなんですよ。ところが文章には常に順序が伴い、『お金はないけど楽しかった』と書くか『楽しいけどお金はなかった』と書くかで優劣や価値が生じてしまう。そうした優劣や序列を離れて、いろんなものがただ同時にある感じを、私はずっと小説で書きたいと思ってきたんです」

 表題はボルヘス「八岐の園」に由来し、ボルヘスが古い中国の逸話を作中に引き、それをまた著者が別の本で読んだ、引用の引用だ。

「でも私が引用したことでその大昔の言葉は今起こり、それって現在の中に過去も未来も同時並行にある人が、あ、ここにもいると、様々な創作物に感じてきた私の感覚、そのものなんです」

 違うから知りたい。そう願うことの可能性を改めて思った。

【プロフィール】
柴崎友香(しばさき・ともか)/1973年大阪市生まれ。大阪府立大学総合科学部国際文化コース卒。会社勤務を経て、2000年に『きょうのできごと』で単行本デビュー。2004年に行定勲監督で映画化され、話題に。2006年に同作で咲くやこの花賞。『その街の今は』で織田作之助賞。翌2007年に同作で芸術選奨文部科学大臣新人賞。2010年『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞(2018年に濱口竜介監督で映画化)。2014年『春の庭』で芥川賞。2024年『続きと始まり』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。151cm、A型。

構成/橋本紀子

※週刊ポスト2024年7月19・26日号

関連記事

トピックス

和久井被告が法廷で“ブチギレ罵声”
【懲役15年】「ぶん殴ってでも返金させる」「そんなに刺した感触もなかった…」キャバクラ店経営女性をメッタ刺しにした和久井学被告、法廷で「後悔の念」見せず【新宿タワマン殺人・判決】
NEWSポストセブン
初の海外公務を行う予定の愛子さま(写真/共同通信社 )
愛子さま、初の海外公務で11月にラオスへ、王室文化が浸透しているヨーロッパ諸国ではなく、アジアの内陸国が選ばれた理由 雅子さまにも通じる国際貢献への思い 
女性セブン
几帳面な字で獄中での生活や宇都宮氏への感謝を綴った、りりちゃんからの手紙
《深層レポート》「私人間やめたい」頂き女子りりちゃん、獄中からの手紙 足しげく面会に通う母親が明かした現在の様子
女性セブン
“マエケン”こと前田健太投手(Instagramより)
《ママとパパはあなたを支える…》前田健太投手、別々で暮らす元女子アナ妻は夫の地元で地上120メートルの絶景バックに「ラグジュアリーな誕生日会の夜」
NEWSポストセブン
グリーンの縞柄のワンピースをお召しになった紀子さま(7月3日撮影、時事通信フォト)
《佳子さまと同じブランドでは?》紀子さま、万博で着用された“縞柄ワンピ”に専門家は「ウエストの部分が…」別物だと指摘【軍地彩弓のファッションNEWS】
NEWSポストセブン
一般家庭の洗濯物を勝手に撮影しSNSにアップする事例が散見されている(画像はイメージです)
干してある下着を勝手に撮影するSNSアカウントに批判殺到…弁護士は「プライバシー権侵害となる可能性」と指摘
NEWSポストセブン
亡くなった米ポルノ女優カイリー・ペイジさん(インスタグラムより)
《米ネトフリ出演女優に薬物死報道》部屋にはフェンタニル、麻薬の器具、複数男性との行為写真…相次ぐ悲報に批判高まる〈地球上で最悪の物質〉〈毎日200人超の米国人が命を落とす〉
NEWSポストセブン
和久井学被告が抱えていた恐ろしいほどの“復讐心”
「プラトニックな関係ならいいよ」和久井被告(52)が告白したキャバクラ経営被害女性からの“返答” 月収20〜30万円、実家暮らしの被告人が「結婚を疑わなかった理由」【新宿タワマン殺人・公判】
NEWSポストセブン
山下市郎容疑者(41)はなぜ凶行に走ったのか。その背景には男の”暴力性”や”執着心”があった
「あいつは俺の推し。あんな女、ほかにはいない」山下市郎容疑者の被害者への“ガチ恋”が強烈な殺意に変わった背景〈キレ癖、暴力性、執着心〉【浜松市ガールズバー刺殺】
NEWSポストセブン
英国の大学に通う中国人の留学生が性的暴行の罪で有罪に
「意識が朦朧とした女性が『STOP(やめて)』と抵抗して…」陪審員が涙した“英国史上最悪のレイプ犯の証拠動画”の存在《中国人留学生被告に終身刑言い渡し》
NEWSポストセブン
橋本環奈と中川大志が結婚へ
《橋本環奈と中川大志が結婚へ》破局説流れるなかでのプロポーズに「涙のYES」 “3億円マンション”で育んだ居心地の良い暮らし
NEWSポストセブン
10年に及ぶ山口組分裂抗争は終結したが…(司忍組長。時事通信フォト)
【全国のヤクザが司忍組長に暑中見舞い】六代目山口組が進める「平和共存外交」の全貌 抗争終結宣言も駅には多数の警官が厳重警戒
NEWSポストセブン