独立運動は「満洲族主体」

 ところで、第一次世界大戦の拡大の背景に「大セルビア主義」があったことを覚えておられるだろうか? 世界大戦のきっかけはオーストリア・ハンガリー帝国とセルビア王国の二か国間の限定戦争のはずだった。日本は幸いにして島国なので、民族の一部がほかの帝国に支配されてしまうなどというケースは無かった。しかし、大陸においては珍しく無い。ヨーロッパでもユーラシアでも事情は同じである。

 セルビア人はセルビア王国という独立した国家を持っていたが、少なからずの同胞がオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあった。それを分離・独立させセルビア人は同じ国家でまとまろう、というのが大セルビア主義である。ちなみに、帝国というのは国王では無く皇帝が統治する、複数の民族を一つの理念のもとに統合した国家のことだ。

 オーストリア・ハンガリー帝国はセルビア人の分離・独立など認めない。一つでも認めてしまえば、帝国自体が崩壊の危機に瀕することすらありうる。当然、帝国は分離・独立派を弾圧する。戦争のきっかけは、セルビア人ガヴリロ・プリンツィプがオーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻を暗殺したことだったが、その背景にはこうした民族対立があったのである。

 モンゴル人にも、中国に支配されている同胞を「解放」し「内モンゴル」などという「占領地域」を分離独立させたい、という思いが当然あった。そこで日本人は、満蒙独立運動を国力拡張の一つの選択肢として視野に入れるようになる。そのリーダーとも言うべき存在が、川島浪速であった。

〈川島浪速 かわしまなにわ
一八六五-一九四九
明治、大正、昭和時代前期の大陸浪人。慶応元年(一八六五)十二月七日、信濃国松本藩士川島良顕・栄子の長男として、松本北馬場町(長野県松本市)に生まれる。明治八年(一八七五)一家は東京に移住。のち外国語学校に入学し中国語を学ぶ。同十九年同校を退学、同年上海に渡航し、中国各地を見聞する。同二十二年病を得て帰国。二十七年日清戦争勃発、陸軍通訳官として従軍、中国大陸から台湾に転戦。二十九年台湾総督乃木希典の知遇をえて、台湾総督府官吏となる。三十三年義和団事件では再び陸軍通訳官として派遣軍に加わり、のちには軍政事務官を兼任し、警察業務にたずさわる。翌三十四年警務学堂を創設し、警察官の養成に尽力した。このころから清朝の粛親王、蒙古王喀喇沁らと親交を結ぶ。四十五年辛亥革命により清朝が滅亡すると参謀本部と通謀し、粛親王を北京から旅順に脱出させ、同王を擁して第一次満蒙独立運動を計画し、実行に移したが、政府の計画中止の命令により挫折し、同年帰国した。(以下略)〉
(『国史大辞典』吉川弘文館刊)

 経歴はまだまだ続くのだが、とりあえずこれくらいにしておこう。というのも、川島は生涯二度にわたって満蒙独立計画を実行するのだが、これはその一回目のものだからだ。じつは、その二回目が実行された時期こそ大正初期の大隈重信内閣の時代だったのだが、その内容を深く理解するためには一回目の試みも知っておく必要がある。そのためには、まずキーパーソンである粛親王を知らねばならない。粛親王とは家の名前で、個人名では無い。日本の宮家のようなもので、歴史上「三笠宮」が一人だけで無く何人もいるように、粛親王も世襲で何人もいる。しかし、歴史上「粛親王」と言えば、それはこの時代に活躍した粛親王善耆のことを指すので、彼の経歴を紹介しよう。

〈粛親王善耆
しゅくしんのうぜんき/スーチンワンシャンチー
[1866-1922]
中国、清(しん)朝の皇族。1898年、父の後を継いで粛親王となり、翌年護軍統領となった。1900年の義和団事件では御前大臣として、西安(せいあん/シーアン)へ避難する西太后と光緒帝(こうしょてい)に従った。07年から5年間、民政部尚書として警察行政の改善に務め、首都北京(ペキン)の治安維持に功績をあげた。その間、日本側と親しくなり、とくにいわゆる大陸浪人の一人である川島浪速(なにわ)とは義兄弟の交わりを結んだ。11年の辛亥(しんがい)革命に際しては宣統帝退位に反対する強硬論を唱えた。中華民国成立後は日本の支配下にある旅順に隠棲(いんせい)し、同地で没した。(以下略)〉
(『日本大百科全書〈ニッポニカ〉』小学館刊 項目執筆者倉橋正直)

 満蒙独立運動は、モンゴルでは無く清朝の廃止に反対する粛親王善耆と、大陸浪人川島浪速との交流によって生まれたものだということだ。あくまで満洲族主体のものだった。だから満蒙独立運動は「大モンゴル主義」とは呼ばれない。もちろん、その要素を含むモンゴル独立運動でもあるのだが、これを推進した人々がもっとも重要視したのは、モンゴルでは無く満洲のほうだった。

 このあたり、同じ大陸浪人でも漢民族のリーダー孫文を援助することによって、漢民族主体の新しい中国を作ろうとした宮崎滔天とはまったく違う方向性である。一口に大陸浪人と言っても、めざすものはそれぞれ違ったということだ。もちろん彼らは方法論の違いこそあれ、最終的には「東洋平和」をめざすという点では一致していた。欧米列強の干渉を排除して民族自決の形を作る、ということだ。

 だから川島は、やむを得ない事情もあったものの満洲族を「駆除」するなどというスローガンを出した孫文を援助するのは間違っている、と感じたに違いない。逆に、その川島の行動に対し「孫文応援団」の人々は、「清朝を廃してこそ中国は近代化できる」と反発したのだ。

(第1425回に続く)

【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。

※週刊ポスト2024年8月2日号

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