ライフ

【書評】中上健次の最終小説の一つ『異族』 偽史的想像力を駆動するための神話的物語装置

『異族』/中上健次・著

『異族』/中上健次・著

【書評】『異族』/中上健次・著/講談社学芸文庫/3850円
【評者】大塚英志(まんが原作者)

 中上健次の最終小説の一つ『異族』を改めて文庫の新刊で手にしてその「厚さ」に、ある時期からの村上春樹を含めミステリーも文学も、世紀末に向けて一編の「量」を肥大させていく光景の僅かばかりの先駆としてこの小説はあったかとまず懐古する。

『異族』の「量」は路地というミニマムな生活空間に拘泥する小説家が急旋回してアジア圏やイスラムさえ範疇とする「サーガ」へと一挙に小説世界を肥大させた結果の、酷な言い方をすれば「希釈化」に他ならない。

 リオタールが「大きな物語の終焉」を予見しあたかもそれを贖うように、エンタメから文学まで物語産業は代替歴史の創造と提供に熱心だった。それは世界的流行である一方で江藤淳式に言えば「地図も歴史も失われた」戦後とポストモダン的世相の二重奏の中で、この国の文学が更に難儀であったのはアニメやゲームやマンガが圧倒的な代替歴史コンテンツを生産していったことで、村上春樹にせよ多和田葉子にせよサーガ作家は少なからずその引用に支えられ、『異族』と同時期、劇画原作『南回帰船』をも残した中上はその点でも先駆だった。

 だがもう一点、中上が「希釈化」する「サーガ」に処方したのが偽史・陰謀史観で『南回帰船』の大東亜共栄圏復興のプロットが角川春樹から仕入れた、当時、裏社会を跋扈していた清朝復興計画で『異族』もつまりは偽史サーガである。

 この時期の中上が『異族』では八犬伝、『南回帰船』は貴種流離譚とステレオタイプな物語枠を採用していることは指摘されるが偽史的想像力を駆動するにはこの種の神話的物語装置に縋るしかない。

 この文学と偽史の接近は少し遅れて、イタリアで匿名作家集団ウー・ミンによる文学運動にも見られるがその手法は北米の「Qアノン」に回収される。だとすれば中上の死後に希釈化されたサーガの語り部として登場する麻原彰晃と中上「サーガ」の共に向かった隘路は、とやはり中上論は真面目に書かれるべきで、そうしなければとうに文学など論じられないのに、と他人事を思う。

※週刊ポスト2024年11月22日号

関連キーワード

関連記事

トピックス

現地取材でわかった容疑者の素顔とは──(勤務先ホームページ/共同通信)
【伊万里市強盗殺人事件】同僚が証言するダム・ズイ・カン容疑者の素顔「無口でかなり大人しく、勤務態度はマジメ」「勤務外では釣りや家庭菜園の活動も」
NEWSポストセブン
中村七之助の熱愛が発覚
《元人気芸妓とゴールイン》中村七之助、“結婚しない”宣言のルーツに「ケンカで肋骨にヒビ」「1日に何度もキス」全力で愛し合う両親の姿
NEWSポストセブン
週刊ポストの名物企画でもあった「ONK座談会」2003年開催時のスリーショット(撮影/山崎力夫)
《巨人V9の真実》400勝投手・金田正一氏が語っていた「長嶋茂雄のすごいところ」 国鉄から移籍当初は「体の硬さ」に驚くも、トレーニングもケアも「やり始めたら半端じゃない」
NEWSポストセブン
詐称疑惑の渦中にある静岡県伊東市の田久保眞紀市長(HP/Xより)
《まさかの“続投”表明》田久保眞紀市長の実母が語った娘の“正義感”「中国人のペンションに単身乗り込んでいって…」
NEWSポストセブン
大谷が購入したハワイの別荘の広告が消えた(共同通信)
【スクープ】大谷翔平「25億円ハワイ別荘」HPから本人が消えた! 今年夏完成予定の工期は大幅な遅れ…今年1月には「真美子さん写真流出騒動」も
NEWSポストセブン
フランクリン・D・ルーズベルト元大統領(写真中央)
【佐藤優氏×片山杜秀氏・知の巨人対談「昭和100年史」】戦後の日米関係を形作った「占領軍による統治」と「安保闘争」を振り返る
NEWSポストセブン
運転席に座る広末涼子容疑者
《追突事故から4ヶ月》広末涼子(45)撮影中だった「復帰主演映画」の共演者が困惑「降板か代役か、今も結論が出ていない…」
NEWSポストセブン
江夏豊氏(右)と工藤公康氏のサウスポー師弟対談(撮影/藤岡雅樹)
《サウスポー師弟対談》江夏豊氏×工藤公康氏「坊やと初めて会ったのはいつやった?」「『坊や』と呼ぶのは江夏さんだけですよ」…現役時代のキャンプでは工藤氏が“起床係”を担当
週刊ポスト
殺害された二コーリさん(Facebookより)
《湖の底から15歳少女の遺体発見》両腕両脚が切断、背中には麻薬・武装組織の頭文字“PCC”が刻まれ…身柄を確保された“意外な犯人”【ブラジル・サンパウロ州】
NEWSポストセブン
山本由伸の自宅で強盗未遂事件があったと報じられた(左は共同、右はbackgrid/アフロ)
「31億円豪邸の窓ガラスが破壊され…」山本由伸の自宅で強盗未遂事件、昨年11月には付近で「彼女とツーショット報道」も
NEWSポストセブン
佳子さまも被害にあった「ディープフェイク」問題(時事通信フォト)
《佳子さまも標的にされる“ディープフェイク動画”》各国では対策が強化されるなか、日本国内では直接取り締まる法律がない現状 宮内庁に問う「どう対応するのか」
週刊ポスト
『あんぱん』の「朝田三姉妹」を起用するCMが激増
今田美桜、河合優実、原菜乃華『あんぱん』朝田三姉妹が席巻中 CM界の優等生として活躍する朝ドラヒロインたち
女性セブン