「カネさんもヨネも球速160キロ台やったやろね。ボクがその少し下」
現役当時の球速について小山さんはこんな言い方をしていた。
「カネさんもヨネも、ボクも投げている球が違う。今、148キロだの、150キロを超えたとか言っとるが、そんなの我々の時代に投げていたピッチャーと比べたら、スローボールですわ。カネさんもヨネも、軽く投げて160キロ台やったやろね。ボクがその少し下やった。カネさんの球は速かった」
小山さんは「最近の野球で“なんでや”ということがある」と言って、こう続けた。
「ランナーもいないのにセットポジションで投げる。それでランナーが出るとクイックモーションで投げる。こんな難しい投げ方でコントロールがつくか。セットポジションで投げる窮屈さはピッチャーをやっていたらわかると思う。
テークバックを大き目に取って投げて、なんぼランナーが走っても自分の球で抑えたらええねん。ランナーの足を止めたところで、バッターに打たれたらなんぼでも点を取られるがな。そういう単純な考え方をせなアカン。数字を残してきた選手を並べても、ランナーがいないのにセットポジションで投げていたピッチャーは一人もいない」
他にも「ピッチャーが好投しているのに100球投げると交代させてしまう」「交代を告げられると喜んで帰っていく」「勝ち星より防御率を喜ぶ選手がいる」と小山さんが今の野球で信じられないと感じることを次々と並べていた。
「勝ち星より防御率を喜ぶ」ことに苦言を呈した背景には、1962年の最高殊勲選手が、この年に27勝をあげ、勝率(.711)と奪三振(270)でリーグ最高の数字を残した小山さんではなく、自チームのライバルでこの年に防御率リーグ1位(1.20)の村山実さんだったことも関係していたかもしれない。
圧倒的な実績を残した昭和のレジェンドがまたひとり亡くなった。合掌。
◆取材・文/鵜飼克郎(ジャーナリスト)