アイドルとして活動していた『みるく』時代はセンターを務めたそめやさん
「たけしさんとはあまり会話するタイミングがなかったのですが、生放送の番組のエンディングで突然、『お姉ちゃんたち、曲だしたんだろ!?』と触れてくださり、『みるく』のCDをPRさせてくれたりしました。
海外旅行先でブランドもののスカーフを買ってきてくださったり、私たちメンバー3人をふぐ料理屋さんに連れて行ってくれたこともありました。外でマネージャーが待っていたから、必要ないのに帰りにはタクシー代までくれて。たけしさんには感謝しかありません」
当時、事務所の寮に入っていたそめやさんの月給は、家賃を引かれて月7万円。『スーパーJOCKEY』出演が3年を超えた頃、その後のアイドル人生を左右する事件が起きた。
「私たちのコーナーになると、いつのまにかカメラマンが近くにいるんです。水着で健康グッズの紹介をしたりしていると、際どいアングルをアップで撮られたりして。落ち込んでいると、いつもMCの飯島直子さんが慰めてくれました。それでもある日、私がブチ切れて、当時の所属事務所社長とケンカになりました。電話で『そんなに嫌なら辞めちまえ!』と言われ、『わかりました。辞めます!』って」
1995年に『みるく』は番組を降板。メンバーの1人が亡くなり、それをきっかけにユニットは解散した。
「実は『みるく』のメンバーはそこまで仲がよかったわけではなく、仕事が終わったらすぐ『バイバイ』みたいな関係だったので、プライベートでの付き合いは深くありませんでした。だから、彼女が何に悩んでいたのか、なぜそんな選択をしたのか、まったくわからなかったのです……」