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【書評】井上荒野・著『しずかなパレード』 喪失と孤独と再生をくり返し、静かに進む物語

『しずかなパレード』/井上荒野・著

『しずかなパレード』/井上荒野・著

【書評】『しずかなパレード』/井上荒野・著/幻冬舎/1870円
【評者】松尾潔(音楽プロデューサー・作家)

 不穏さを欲するとき、井上荒野が読みたくなる。曰く付きの「新作」である。若い女性が対象の幻冬舎の季刊文芸誌に連載されたのは、およそ十年前のこと。同社ホームページで自身が「失敗作だ、くらいまで思っていたんですよ」と述懐するように、ずっと塩漬けにしてきたが、いま読み返してみると面白さに気づいたと作者は他人事のように言う。時代が追いついたというべきか。

 物語は、東京から佐世保の老舗和菓子店に嫁いで若女将となった女性が、夫と幼い娘を残して突然失踪することから始まる。結婚して五年、幸せそのものに見える家庭だったが、他に好きな人がいると告げて家を出た。

 残された周囲の人々のそれから十二年分の生活の変化が語られる。妻の裏切りを知った夫は、怒りと悲しみ、疑念と諦念をいびつに肥大させながらも娘を育てる。常態化した「母の不在」のもと成長した娘は、自分は棄てられたという被害者意識を内包したまま思春期を迎える。

 若女将の愛人の脚本家は中年の危機と対峙することから逃げ続け、彼の妻は夫の不貞に見て見ぬふりを通す。さらに、何かに足掻きつづける「カンフーマン」と呼ばれる奇行者とその家族が、つねに物語の底にいる。

 ひとりの女性の失踪が周囲に与える影響を多角的な視点で静かに、しかし深く描くことに作者は余念がない。何をおいても佐世保の老舗和菓子店という設定の勝利を讃えたい。井上の母親の実家が佐世保最古の和菓子屋「松月堂」であることも説得力の大きな担保となろう。直木賞受賞作『切羽へ』のトーンを決定付けていた佐世保弁の肉感性は本作でも大いに魅力的だ。

 喪失と孤独と再生をくり返すパレードは静かに進む。歳を重ねるとは、あまたの悔いを無理に洗い流すことではなく、それらと一緒に生きていく準備を整えることではないか。

※週刊ポスト2025年5月9・16日号

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