『英語と明治維新──語学はいかに近代日本を創ったか』/江利川春雄・著
【書評】『英語と明治維新──語学はいかに近代日本を創ったか』/江利川春雄・著/ちくま新書/1100円
【評者】辻田真佐憲(近現代史研究者)
本書は、幕末から明治維新にかけての歴史を、英語学習を軸に読み解く意欲的な試みである。
歴史書には、物語の軸となる主人公が必要だ。ところが近年、ミクロな視点が重視され、英雄的な人物を中心に据えるような語りは敬遠されやすい。その結果、一般の読者には歴史の全体像が捉えにくくなっている。
そのなかで、特定のモノを主題にして、それをあたかも擬人化するかのように歴史を語ることで、新たな全体像を浮かび上がらせようとする手法が存在感を増している。その点で、英語学習は今日のわれわれにとって馴染み深く、歴史への導き手として非常に優秀といえる。
語学の学習は、たんなる技能の習得ではなく、異文明との接触そのものである。その過程で日本人は、自国の言語がいかに身分制度に根ざしていたかを認識し、世界における自国の立ち位置を痛感することになった。だからこそ、当時の日本人は血の滲むような苦労を重ねて超大国の言語たる英語を学ばなければならなかった。そこには、自国の独立をいかにして守るかという切実な問題意識があった。
その点で、幕府の役人たちも新政府と変わらぬ危機感を抱いていた。「幕府無能史観」は新政府による自己正当化の側面が強い。本書は、幕府の先進的な取り組みにも光を当てており、公平な視点を与えてくれる。
当然ながら、言語が変われば思考も変化する。英語の学習を通じて、日本には民主主義といった価値観が流入した。明治政府が途中からドイツ語の振興を図った背景には、こうした思想的影響への警戒感があった。
翻って現代、語学学習はあまりに軽々しく語られている。それはたんなる金儲けや立身出世の手段にすぎないのか。むしろ、われわれ自身のあり方を揺さぶる体験ではなかったか。本書を通して、英語に向き合った先人たちから学ぶべき点は多い。
※週刊ポスト2025年5月23日号