村山実(阪神在籍・1959~1972年)
甲子園のヤジに屈しない
同じサウスポーで「20勝投手」は井川慶(1998~2006年)か。いいピッチャーには違いないんだけど、スケールの点ではなんか物足りなくて小粒に見えてしまう。メジャーでは残念だったけど、ポテンシャル的にはもっともっとできたと思う。力でねじ伏せる投球をギリギリまで見せてほしかった。能見(篤史、2005~2020年)もきれいなフォームだったけど、けがが多い印象だ。マウンドを譲らないことは投手の大事な資質。そこが惜しかった。
中継ぎで言えば、福原忍(1999~2016年)が記憶に残る。同じ「背番号28」だから気にして見ていた。入団当初から150キロ超のストレートで打者を圧倒し、見ていて気持ちの良いピッチングだった。
現役時代、目をかけた後輩ピッチャーはようけいたけど、みんな“潰された”。まあ、しゃーないわな。プレッシャーに負けているようじゃあかん。甲子園のマウンドに立つとヤジはよう聞こえる。逆にそのヤジを利用するくらい、なにくそという気概を持たなきゃ。
特に抑え投手はそうだ。ストッパーだと「ヤマカズ」こと山本和行(1972~1988年)かな。フォークを武器に1年目から先発で投げ、俺が南海にトレードされた後に抑えで活躍した。個人主義というか一風変わった男だったけど、投手で長く活躍するにはみんなでワイワイ群れてはダメ。そういう点では好きな後輩だった。
1985年に日本一になった時のストッパー中西清起(1984~1996年)も忘れられんな。高校時代に春のセンバツで優勝して水島新司先生の漫画の作品(『球道くん』)にちなんであだ名が付けられた。変化球が多彩で気迫を前面に出していた。ピッチャーは気持ちが乗ってないとなんぼ球が速くても打たれてしまう。その点、中西は好きなピッチャーだった。
監督になった藤川球児(1999~2012年)も外せない。あの浮き上がるボールは、メジャーの元祖“火の玉投手”ボブ・フェラーのボールに近いんだろうなと思いながら見ていた。
マウンド上は、常に孤独を感じるもの。だけど、マウンドに上がるピッチャーだけがほかの選手より“一段高いところ”で野球をやれるのは特権だ。特に甲子園のマウンドで投げる責任と重圧は何よりも得難い経験だった。重たいボールを放れる若いスターの登場に期待したいね。
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聞き手/松永多佳倫(ノンフィクション作家)
【プロフィール】
江夏豊(えなつ・ゆたか)/1948年、兵庫県生まれ。1967年に阪神入団、1975年まで在籍。401奪三振の日本記録(1968年)、オールスターでの9連続奪三振(1971年)など様々な伝説を持つ。
松永多佳倫(まつなが・たかりん)/ノンフィクション作家。1968年、岐阜県生まれ。『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『92歳、広岡達朗の正体』(扶桑社)など著書多数。
※週刊ポスト2025年5月30日号