六代目山口組の司忍組長(時事通信フォト)と稲川会の内堀和也会長
5月15日、指定暴力団・稲川会の清田次郎総裁(享年84)の「会葬」が神奈川県横浜市内の稲川会館にて執り行なわれた。六代目山口組、住吉会、工藤會、旭琉會など日本全国から20以上の暴力団の最高幹部が駆けつけ、“ヤクザのドン”とも称された清田総裁を追悼。暴力団排除条例で「組葬」を開くことすら難しいと言われる令和の時代に、どのように開催したのか。NEWSポストセブンが密着した。
まず、清田総裁の死去後、今回の「会葬」までの経緯について実話誌記者が解説する。
「清田総裁は川崎市内の病院に数年前から入院し、闘病中でしたが、4月21日に亡くなりました。病死と見られています。4月26日に傘下組織事務所で葬儀は行なわれていますが、この日は身内だけの葬儀でした。全国の暴力団から弔問に訪れたいという声を受け、今回の『会葬』開催になった。近隣住民や公共交通機関への影響を考慮して、GW明け後になったと言われています」(実話誌記者)
午前9時前、会場となった稲川会館を訪れると「稲川」という腕章をつけた組員が路上で交通整理を行なっていて、警視庁にはじまり、神奈川県警を筆頭に埼玉、兵庫県警など全国から集まった警察官40名以上が視線を送っていた。
9時19分、ナンバー2の貞方留義理事長を迎え入れるため、施設のシャッターが開くと、敷地内には数百名の組員がズラリと整列していた。いずれの組員も黒いスーツ、黒いネクタイを着用し、奥にある建物側に金色のバッジをつけた組員、駐車場に銀色のバッジをつけた組員が並ぶ。これまで何度か現地取材に訪れているが、これほど多くの組員が整列することは珍しく、警察やメディアからも驚きの声が上がっていた。
9時36分、今度は黒いセンチュリーが施設に入り、内堀和也会長が姿を現す。クルマから降りた内堀会長は出迎えた貞方理事長や池田龍治総本部部長らと言葉を交わすと、施設ではなく、シャッター側に歩を進める。一体どこに向かうのか━━内堀会長らはそのまま敷地を出て、車道を横断。そのまま警察とメディアの目の前で足を止め、こう口にした。