清原和博氏は長嶋さんの逝去の翌日、都内のビル街にいた
6月3日、「ミスター」の愛称で親しまれた長嶋茂雄さんが、89歳で逝去した。選手、そして監督として、戦後プロ野球の象徴だった長嶋さんは、ともにプレーした選手たちのプロ野球人生をも華やかに彩っている。西武や巨人などで通算525本塁打を放った清原和博氏(57)も、長嶋さんに大きな影響を受けた選手の1人だった。スポーツ紙記者が語る。
「幼少期から巨人の大ファンだった清原氏は、PL学園で甲子園通算13本塁打を放つと、同年のドラフト会議で『巨人入団希望』を名言。しかし、巨人は同窓の桑田真澄(現・巨人2軍監督)(57)を指名した。西武入りが決まった清原が直後の記者会見で失意の涙を溜めた様子は、『KKドラフト事件』として知られています。
その後FA権を取得し、長年の憧れだった巨人入りを決めた当時の監督が長嶋さんでした。阪神からも獲得オファーを受けていた清原氏は、長嶋さんの『僕の胸に飛び込んできてほしい』という口説き文句を受け、巨人入りを決断しました」
訃報があった当日、清原氏は自身のXを更新。以下のように綴り、長嶋さんの死を悼んでいる。
〈突然の訃報に驚いています 自分の夢であった巨人軍に導いてくださったのは長嶋さんでした なかなか調子が上がらなかった時、遠征先のホテルの部屋でバットを振り込み、熱心にご指導していただいた事が一番の思い出です 心からの感謝とご冥福をお祈りします 清原和博〉
6月8日に執り行われた長嶋さんの葬儀には、「清原氏も参列していた」(前出・スポーツ紙記者)という。
「巨人移籍後、肉体改造や派手なファッションが加速し、球団フロントから度々苦言を呈された清原氏には、批判の声も大きかった。一方で長嶋さんは『バッシングなんかに負けてはダメだ』などと、一貫して清原氏を激励し、明るい言葉をかけ続けていた。本人が恩義に思うところは大きいでしょう」(同前)