未来に希望を繋ぐ人を僕は書きたい

 履歴書に自ら嘘を書いたという美月の壮絶な過去や、教室でも同じ場面で笑い、視線でわかりあえた天童と奏の恋愛以上の絆。何より白眉は1986年、デビュー5年目の美月を瀬尾が担当することになり、挨拶代わりに映画『追憶』のテーマ曲を音大出の瀬尾が弾き、洋楽好きな美月が歌った奇蹟のような即興シーンや、ダンスの才にも恵まれた美月が、ある日のアンコールにアンドレ・ギャニオン『踊りつかれて』をただ踊った時の神々しいほどの美しさだ。その光や音の一粒一粒までが伝わる生々しい描写は、〈ネットの質感のなさ〉のあえて対極を行くかのよう。

「僕としてはリアリズムも抒情性も両方なきゃイヤでしたし、人間ひとりの人生を肉付けするのはこんなにも手間がかかるんだと感じてほしかったんですね。僕が多くの関係者に会い、集めたピースを一旦バラしてまた組み直す面倒な書き方をしたのも、実の凄味が活路を開くと信じるからで、自分ひとりの考えなんて知れてるからこそ、プロや経験者の言葉を大事にしたい。

 SNSの個発信はまさにそこが危険で、各々が欲しい情報だけを集め、それをテクノロジーが後押しするなんて、そんな危ない時代、今までにありましたかって。しかも常にオンラインで、物事を深く考える時間すら削られ、誰もが相互監視と委縮に疲れている……」

 そうならないためにも、塩田氏は例えば〈義憤には必ず自己満足がふくまれていて、ユーモアのセンスがある人間ならだれでもきまり悪さを感じるものだ〉というモーム『月と六ペンス』の言葉を引き、だからこそユーモアや恥の感覚を養い、過剰な場合は〈ブレーキを踏む〉必要があると訴えた瀬尾の思いをそのまま映す。

「それほど人間はモームの時代から変わってないとも言えますけど、地道に声を上げ続け、未来に希望を繋ぐような人が僕は好きだし、書きたいと思うんです」

 本書には過剰で支配欲に駆られた言葉達の醜悪さと、瀬尾と美月、天童と奏との感性を介した友情のような、この上なく尊いものが両方ある。その点は「清張の読み聞かせ」で育ち、「人間の怖さと愛おしさを叩き込まれた」と笑う塩田氏らしい、新たな代表作の誕生だ。

【プロフィール】塩田武士(しおた・たけし)/1979年兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、神戸新聞社に入社。2010年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞し、2011年にデビュー。同作は第23回将棋ペンクラブ大賞も受賞した。2012年より専業作家となり、2016年『罪の声』で第7回山田風太郎賞、2019年『歪んだ波紋』で第40回吉川英治文学新人賞、2024年『存在のすべてを』で第9回渡辺淳一文学賞を受賞。その他に『騙し絵の牙』『朱色の化身』などがあり、映像化作品も多数。173cm、60kg。

構成/橋本紀子

※週刊ポスト2025年6月20日号

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