宮津家で暮らし始めた頃の航一さん(中央)と父の美光さん、母のみどりさん
兄の写真を「自分の赤ちゃん時代」として貼り付けた
──どうしたのでしょう?
宮津:当時は周囲に自分の生い立ちを伝えていませんでしたが、担任の先生は事情を知っていて「写真じゃなく、絵を描いてもいいよ」と言ってくれたんです。でも私は写真にしたかったので、両親に相談して、一番上の兄の赤ちゃん時代の写真を使わせてもらうことにしました。
あと、私の名付け親は当時の熊本市長なんですよ。〈ゆりかご〉に預けられたあとで熊本市に戸籍をつくるとき、名前は市長が決めてくれて、 誕生日は「推定」で11月3日、文化の日になったんです。
──でも同級生はその事情を知らない。すると「市長が名付け親になった」とは書けないですね。
宮津:はい。名前の本当の由来はわからなかったので、「航一」の漢字に込められた意味を父と考え、それを書きました。そして推定の誕生日と、生まれた頃の様子として「体重が2800g、声が大きかった」などと書いたんですが、これも両親と「たぶんこんな感じだったんじゃないか」と想像したものです。
──そういう項目を想像で補ったり、お兄さんの写真を借りたりすることに、引け目のようなものはありましたか?
宮津:それはないです。その場しのぎかもしれないけど、提出物をちゃんと作れてよかったなと思いました。もちろん「周りの同級生が当たり前に持っているものが、自分にはない」というもどかしさはありました。でも、それをずっと抱え込んでいたわけじゃないんですよ。6~7歳の頃に日々「自分の生い立ちとは?」などは考えなかったし。
それに小2のとき、私の本当の出自がわかったんです。