1973年、V9を達成。日本一になり場内一周をする巨人ナイン
絶好調のときは、ボールがドッジボールくらいの大きさに見えたこともある。その状態を続けるには、やはり練習しかないんです。遠征先では宿舎に帰ってから、東京では帰宅してから、納得いくまでバットを振りました。人のいないところで、自分の技と夢中で格闘したものです。努力は他人様に見せるものじゃない、という考えがありましたね。
ワンちゃんには荒川(博)さんという師匠がいたけど、僕には師匠と呼べる人がいなかった。もちろん荒川さんは打撃コーチとして僕にも教えてくれましたが、ワンちゃんのような師弟関係ではなかった。
それで僕は、強打者と呼ばれるいろんな人に教えを請うたものです。ライバル球団・中日の中心打者だったブンちゃん(西沢道夫)ともしょっちゅう打撃論を交わしましたし、立教大の監督だった砂押(邦信)さんには、プロになってからもバッティングを教えてもらいに自宅へ押しかけた。さすがに砂押さんが国鉄のコーチ、監督になった時(1960~1965年)は、「ライバル球団だから教えられないよ」と言われてしまったので困りました(笑い)。
巨人ナインともよく話をしました。食事をしていても、いつの間にか野球の話になる。というか、野球の話しかしなかったね。キャンプや遠征で一緒に食事すると、野球論ですぐに2時間や3時間が過ぎてしまう。あの頃は24時間野球漬けだったんです。
もちろん宿舎の部屋でもバットを振っていました。障子に向かってバットを振ると、ピシッピシッと音がする。バットスイングの風が共鳴するんです。それが一番いい音で、その音を目指してみんなで素振りをやったものですよ。
そういえば裸、フルチンでの素振りもやりましたね。ワンちゃんは荒川さんの道場でやるときはパンツ一丁だったけど、僕は裸で素振りしていましたね。もちろん夏場ですよ。冬は寒いから、さすがにフルチンじゃない(笑い)。
ただこれは言っておきますけど、暑いからフルチンでやっていたわけじゃないんです。フルチンじゃないと、上半身と下半身のバランスが分かりづらいんですよ。いいスイングは下半身がグッと締まる。下半身が小さく、静かな状態でないとダメなんです。大きく激しく動いて、アソコが太ももにパチンと当たっていてはダメなの。何て言うかな、“プシュッ”と当たらないといけない。上半身と下半身のバランスがいいと、アソコが当たるときにそんな音がするんだよね。とにかくアソコが……あれ、これは一体何の話をしていたんだっけ(笑い)。
取材・文/鵜飼克郎(『「巨人V9」50年目の真実』著者)
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6月16日発売の週刊ポストでは、巨人V9時代のさらなる秘話について、長嶋さんが明かしている。
※週刊ポスト2025年6月27日・7月4日号