ファースト写真集撮影時(1985年春・ハワイ)
「やっぱり恥ずかしいよ。女の子だもん」
と言って下着になるのに抵抗を示した。これには困って、僕は「大丈夫よ、頑張れ」しか言えなかった。ここまで、たいへんな思いをしてやっと辿り着き役を掴んだ。美穂も辛かったけど頑張った。少しして脱いだ。思い切ってやっちゃってくれた。
オンエアの後「人知れず泣いた」
プロデューサーから「大丈夫、脱いでも見えないから。見えるのは背中だけだから」そう説得されてようやく挑んだ。オンエアされるまでは、撮っているのは背中だけ、と信じていたと言う。オンエアされてバスト付近がチラッと映っているのを見た時は、ショックで言葉が出なかった。
それでも美穂は、終わったことに対しては何も言わなかった。ただ人知れず泣いた。思春期の女の子だった。ドラマは中山美穂を中心に構成されていき、第8話は19.5%、第9話23.5%、第10話20.2%、第11話が24.2%、最終回は26.2%という記録を出した。視聴率は1%が100万人といわれた時代で、シリーズを通して2億3400万人の人がテレビの前で釘付けになった。
放送第1話で13.8%という高視聴率をとった1月8日放送の『毎度おさわがせします』が放送されるやいなや、翌日僕の事務所の電話は、レコード会社、テレビ局、広告代理店、出版社などからの仕事の依頼と、またどこで知り得たのかファンと称する男の子や女の子たちから24時間鳴りっぱなしになった。
僕は自宅兼事務所で放送を観た。美穂は小金井の自宅で家族で一緒に観た。まさかこの時、一夜にして世の中が変わってしまうということを2人は思いもよらなかった。美穂は翌日から電車に乗れる状態ではなくなった。街に出ると取り囲まれ、電車に乗ろうとすると「のどかだ!」と若いファンたちが駆け寄ってきて動きが取れなくなり、僕の友人に頼んで車で送り迎えをしてもらった。
一夜にして世界が変わった。そう、たった一夜にして世界が変わった。
美穂は一気にスターになった。周囲の景色も変わった。たった一夜だ。時代が美穂を待っていた。美穂は見事、風を掴んだ。僕も美穂というアイドルを掴んだ。
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山中則男「中山美穂『C』からの物語」(青志社)
著・山中則男/中山美穂『C』からの物語/青志社