著書には美穂さんとの知られざるエピソードも綴られている
土井さんをはじめ、美穂さんの「お別れ会」に詰めかけたファンを見て、本の依頼を受けていた山中氏の気持ちは固まったという。
「美穂が天国へと旅立ったあと、応援してくださった多くの方から励ましや温かい言葉をいただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。
美穂は誰よりもファンを大事にする子でした。美穂が生きてくれていたら、本を出すつもりなんてありませんでしたが、美穂が『中山美穂』になるまでを知る当時の人は、もうほとんどいません。彼女を語り継げるのは自分しかいないと思い、遺言のつもりで残しました」
本を執筆中、「夢に美穂さんが出てきた」と打ち明ける。
「美穂がいなくなって5か月くらい経ったときに、初めて夢に14歳の頃の美穂が出てきたんです。その 夢の中で私は、なぜか自宅で電話の下の棚で探し物をしていました。朝起きて、夢に出てきた棚を開けたら、箱から1冊の色褪せた手帳が出てきたんです。それは美穂がアイドル人生で大きな年となった1985年のスケジュール帳でした。私は手帳の場所や存在も忘れていました」
山中氏は数十年ぶりに手帳を手に取った。1985年は美穂さんが『毎度おさわがせします』に出演し、「『C』」で歌手デビューを果たし、レコード大賞最優秀新人賞を受賞した年だった。
「書籍にも実際のスケジュールが載っていますが、ハワイ写真集のロケやグアム、イタリア・ベニスでの『生意気』のミュージックビデオ撮影など、スケジュールや打ち合わせのメモがぎっしり書いてありました。『毎度おさわがせします』の打ち上げ予定も書かれていて、美穂の大事な1年が刻まれた手帳でした。
なぜメモしたのかは覚えていませんが、美穂の家族構成について、『父(40才)・サラリーマン 母 妹(区立中1) 弟』と書いている箇所もありました。美穂が手帳の場所を教えてくれたのかなと思っています」