今年5月、現職を打ち破り初当選した(Xより)
田久保氏が“除籍”されていたという事実を把握したのは6月28日。自ら大学へ赴いたからで、それまで除籍されていた事実を知らず、卒業したと「勘違い」していたと述べていた。人の記憶は都合よく書き換えられることがある。実際に経験していなくても、経験したと思うようになる。実際に起こっていないことや、起こったこととは異なることを起きたと思うようになる。「フォールスメモリー」という現象だ。だがこれには気をつけるべきポイントがある。そこに悪意や作意がなく単に誤って記憶しているということだ。
だが田久保氏のケースをフォールスメモリーというには、無理がある。彼女の発言の数々を振り返ると、勘違いという言葉と矛盾する言動が見受けられるからだ。
例えば「大学時代の後半は、特に自由奔放な生活をしていた。当時は今と違って携帯電話もなく、私がバイクに乗っていろいろなところに行ってしまって、住所不定のようになったり連絡がつかなかったような状況もあった」というコメント。この言葉通りなら大学時代の後半、彼女は授業に出席していなかったように思える。それなら卒業に必要な単位を取得できなかったのではないだろうか。単位を取っていなければ、卒業できるわけがない。会見で弁護士が田久保氏から預かったという書類の中に、単位や成績に関する証明書がなかったのはそのためではないのか。本当に卒業したと思い込んでいたなら、成績証明書を取るはずだろう。
議長らにチラ見せした卒業証書を7日の会見で「私の中では本物」とコメントしたのは、悪意がなく、勘違いだということを強調するためだろう。だが2日の会見では、チラ見せについて「これで自分の経歴がわかっていただけるかなという意味でお見せした」と発言。「わかっていただける」ではなく、「わかっていただけるかな」と疑問符をつけた。「卒業を証明するものであろうと思ったので」という発言では、「証明するものであるので」ではなく、「あろうと思った」という曖昧な言い方になった。本当に卒業したと思い込んでいたなら、こんな表現は使わないだろう。
誰もが思うだろうが、証書が本物ならチラ見せではなく、堂々と見せるのではないだろうか。チラ見せという行為は、卒業した証明があるという主張?を印象づけるための手段でしかない。確認されると困るという意識が、どこかにあったのではないかと思わせる行為だ。
その卒業証書も「30年前ぐらいのこと」と前置きし、「どのように手にしたのか、要するに、郵送で送られてきたのか、それとも学校に取りに行ったのか、誰か友達と一緒に行ったのかというような、もう記憶が曖昧でございます」と表情も変えず、視線を前に向けた。暗に大学側がこれを出したと主張したようなもので、自分は偽物を掴まされた被害者というスタンスだ。その証書も、捜査機関に提出するため見せられないという。だがこの発言で、彼女が卒業式に出なかったと想像できる。授業にも出ず、卒業式にも出席しなかった学生が、卒業したと思い込むという不思議が彼女の中ではまかり通っていたらしい。
最後はかすかに微笑むように口元を緩めるような姿も見せた田久保氏、ピンクのジャケットの効果は予想以上だったのではないだろうか。
推している「うたプリ」キャラクター誕生日の投稿。「うたプリも気づけば10年越しの推し 仕事で嫌な事があってもいつも癒しをありがとうございます」(田久保眞紀Instagramより)
怪文書について田久保氏からのメッセージが掲載されている(公式サイトより)