駒大苫小牧との決勝再試合で力投する早稲田実業の斎藤佑樹投手(2006年/時事通信フォト)
100年を超える高校野球の歴史で、甲子園で最も多い球数を投げたのは、2006年に全国制覇を遂げた早稲田実業の斎藤佑樹だ。最多記録948球の理由は無論、3連覇を目指した駒大苫小牧(南北海道)との延長15回にも及ぶ決勝が1対1の引き分けとなり、再試合にまでもつれたからだ。相手投手の田中将大も658球を投げていた。
汗を拭いながら試合に臨む姿からハンカチ王子と呼ばれ、決勝の熱投で社会現象を巻き起こした。歴史的決勝の翌日、筆者による単独インタビューで斎藤は18歳の偽らざる本音を漏らしていた。
「早く普通の高校生に戻りたいです」
斎藤は当時、世間が称賛した異次元の投球内容を冷静に振り返った。
「948球ですか? 不思議とそれだけの球数を投げた疲労感はないですね。ピンチでも落ち着いて投げられた。この集中力は部活動だけではなかなか身につかない。自分はそれを、学校の勉強を頑張ることで手にすることができた。早実だから自分は成長できたのだと思います」
斎藤と共に高校日本代表に選出された、当時外野手でチームメイトの船橋悠は斎藤の投手としての信頼感をこう述懐する。
「僕らは斎藤が投げないと勝ち抜けないチームだった。その自覚は今も変わりません。あの夏、斎藤が一番点を取られたのが、西東京大会決勝の日大三戦で、スコアは5対4だった。4点以上取れれば、僕らの代の早実はどこが相手でも勝つことができた。そんな逞しいピッチャーはいないですよね」
2006年の斎藤が語っていたように、早実野球部の強さの根底には伝統校としての校風があるのではないかと船橋は分析する。
「一昨年に全国制覇した慶應も同じだと思いますが、教育もしっかりしている学校は強いと思います。授業中、『野球部だから居眠りしていても仕方ない。野球だけやっていればいい』みたいな空気は当然まったくない。いくら野球の成績が良くても、勉強を頑張らなければ、落第だってある。そういう環境下でなければ育むことのできないものもある。落第の危機感に比べたら野球をプレーしている時の重圧なんて(笑)」
現行の制度では延長10回からタイブレークとなり、引き分け再試合も行なわれなくなった。今後、斎藤のようなドラマを生み出すスターが生まれることはないだろう。
取材・文/柳川悠二
※週刊ポスト2025年8月29日・9月5日号