センバツでは“マダックス”も達成しているPL学園時代の桑田真澄(時事通信フォト)
投手の球数をカウントするようになってから、聖地・甲子園で最も白球を投じたのは、2006年の早稲田実業・斎藤佑樹を筆頭に、2018年の金足農業・吉田輝星、1998年の京都成章・古岡基紀と続く。
2021年のセンバツより導入された「1週間に500球以内」という球数制限を過去の投手に当てはめると、球数上位に名投手の名前が連なる。1週間以内に500球以上を投げた上位5投手を紹介する。
【1位】692球(1988年、7日間)小川洋(愛媛・宇和島東)
【2位】689球(2006年、6日間)斎藤佑樹(西東京・早実)
【3位】686球(1985年、7日間)小林昭則(東東京・帝京)
【4位】680球(1997年、7日間)川口知哉(京都・平安)
【5位】676球(1989年、7日間)大越基(宮城・仙台育英)
いずれも高校野球の歴史に名を刻むスターばかりだが、球数ランキングにはあの小さな大投手の名が含まれていない。
1年生ながら全国制覇を果たした1983年夏から5季連続で甲子園出場を果たした大阪・PL学園の桑田真澄だ。通算25試合に登板し、学制改革後最多となる通算20勝を挙げた。イニング数は197回と3分の2にのぼり、防御率は1.55だ。
球数の少なさこそ桑田の特筆すべき特長で、1985年のセンバツ準々決勝の奈良・天理戦では82球で完封するという“マダックス”も達成している。
1980年代は決勝前日や準決勝前日に休養日がなく、準々決勝から決勝まで3連戦となる過密日程だった。それにもかかわらず、桑田は現代のルールに照らしてみても、1週間に500球という球数制限を難なくクリアしているのである。
桑田を指導した中村順司元PL学園監督はこう話す。
「桑田には『肩は消耗品』という考え方が当時からあった。3連投に耐えうる身体を作りながら、ノースローの日を設けるなどして肩やヒジを自ら守っていたと思います」
さらに、桑田の誕生日は4月1日で、もし1日でも誕生が遅れていたなら一学年下となる早生まれなのだ。つまり桑田は、ほぼほぼ中学生の肉体で1983年夏の甲子園を制したことになる。こんな投手は2度と現われることはないだろう。
取材・文/柳川悠二
※週刊ポスト2025年8月29日・9月5日号