ライフ

【逆説の日本史】「予測狩り」をすることで「敗戦」が避けられるという言霊信仰の作用

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』

作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』

 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。今回は近現代編第十五話「大日本帝国の確立X」、「ベルサイユ体制と国際連盟 その12」をお届けする(第1463回)。

 * * *
「太平洋戦争」という言葉は歴史用語としては不適切で、もし用いるとすれば「大東亜戦争における東部戦線である太平洋で行なわれた、アメリカ、オーストラリアとの戦い」と限定的な使いかたをするべきだということは、前回までの記述でわかっていただけたと思う。

「この戦争」には、西部戦線におけるイギリスやオランダとの戦いも含まれている。だからこそ、当事者である大日本帝国はこれを「大東亜戦争」と呼んだのだ。そして歴史を語るものとしてまず一番大切にしなければならないことは、当時その行為がどのように呼称されたかを正確に紹介することである。そこには、それを実行した当事者の思想が含まれているからだ。

 たとえば、リンカーンの奴隷解放以前、アメリカ在住の黒人は奴隷だった。これは人権的に見ればきわめて許しがたいことではあるが、事実は事実だ。したがって奴隷という歴史用語は用いなければならないし、たとえば「抑圧された黒人たち」などと勝手に言い換えてはならない。それは歴史の改変につながる。

 もちろん奴隷制度がきわめて非人道的なものであり、その内容を正確に紹介することは必要である。しかし、その「正確な紹介」のなかには彼らが人間扱いされずに「奴隷」と呼ばれたことも含まれているのだから、そのように言い換えてしまえばその事実が消されてしまう。

 あたり前のことだ。本来ならば、こんなに紙幅を費やして説明せずとも世界中の歴史研究者がそんなことはわかっているはずのことである。ところが、日本にだけそれがわかっていない人たちがいる。

 私の言ういわゆる左翼歴史学者たちで、彼らは「『太平洋戦争』では不正確」ということを認めつつも、「大東亜戦争」では無く「アジア・太平洋戦争」と呼ぶべきだ、と主張している。その「第一人者」である森武麿一橋大学名誉教授が、そのものズバリの著書『日本の歴史(20) アジア・太平洋戦争 』(集英社刊)で、なぜそう呼ぶべきかを語っている。

〈【従来、真珠湾攻撃による日米開戦以降、終戦までの戦争を太平洋戦争とよんできたが、これは対米戦争に限定される響きをもつので問題がある。中国と東南アジアを含むアジア戦線とハワイとオーストラリアを含む太平洋戦線の両方を考慮にいれた呼称がふさわしいであろう。】本書のタイトルを「アジア・太平洋戦争」としたのはこの理由からである。
(【 】引用者)

 じつは、この文章の【 】部については私もまったく同意見である。いや同意見というより、そもそもそれが事実なのだから、「水とはH2Oである」というのがどんな思想的な立場の人間にとっても事実であるのと同じだ。問題はその次である。「太平洋戦争」がダメならば、当時使われていた「大東亜戦争」という名称を用いれば問題無いではないか。それなのに、なぜ「アジア・太平洋戦争」とするのか? その理由は次のようなものだと言う。

〈さらに、当時の呼称である「満州事変」「支那事変」についても実際には戦争であるにもかかわらず、欧米の介入をおそれて日本では一貫して「事変」と言い続け、戦争という用語を使用しなかった。(中略)そこで本書では「満州事変」は中国東北戦争、「支那事変」は日中全面戦争とよびたい。(中略)その延長線上で一九四一年にアジア・太平洋戦争に戦域を拡大していった。本書での呼称からも中国東北部→中国全土→東南アジア→太平洋と、一五年戦争の拡大の実態と本質を明瞭に読み取ることができるものと考えられる。〉
(引用前掲書)

 おわかりだろう。「言葉狩り」なのである。

あわせて読みたい

関連キーワード

関連記事

トピックス

還暦を過ぎて息子が誕生した船越英一郎
《ベビーカーで3ショットのパパ姿》船越英一郎の再婚相手・23歳年下の松下萌子が1歳の子ども授かるも「指輪も見せず結婚に沈黙貫いた事情」
NEWSポストセブン
ここ数日、X(旧Twitter)で下着ディズニー」という言葉波紋を呼んでいる
《白シャツも脱いで胸元あらわに》グラビア活動女性の「下着ディズニー」投稿が物議…オリエンタルランドが回答「個別の事象についてお答えしておりません」「公序良俗に反するような服装の場合は入園をお断り」
NEWSポストセブン
志穂美悦子さん
《事実上の別居状態》長渕剛が40歳年下美女と接近も「離婚しない」妻・志穂美悦子の“揺るぎない覚悟と肉体”「パンパンな上腕二頭筋に鋼のような腹筋」「強靭な肉体に健全な精神」 
NEWSポストセブン
「ビッグダディ」こと林下清志さん(60)
《還暦で正社員として転職》ビッグダディがビル清掃バイトを8月末で退職、林下家5人目のコンビニ店員に転身「9月から次男と期間限定同居」のさすらい人生
NEWSポストセブン
大阪・関西万博を訪問された佳子さま(2025年8月、大阪府・大阪市。撮影/JMPA)
《日帰り弾丸旅行を満喫》佳子さま、大阪・関西万博を初訪問 輪島塗の地球儀をご覧になった際には被災した職人に気遣われる場面も 
女性セブン
鷲谷は田中のメジャーでの活躍を目の当たりにして、自身もメジャー挑戦を決意した
【日米通算200勝に王手】巨人・田中将大より“一足先にメジャー挑戦”した駒大苫小牧の同級生が贈るエール「やっぱり将大はすごいです。孤高の存在です」
NEWSポストセブン
侵入したクマ
《都内を襲うクマ被害》「筋肉が凄い、犬と全然違う」駐車場で目撃した“疾走する熊の恐怖”、行政は「檻を2基設置、駆除などを視野に対応」
NEWSポストセブン
山田和利・裕貴父子
山田裕貴の父、元中日・山田和利さんが死去 元同僚が明かす「息子のことを周囲に自慢して回らなかった理由」 口数が少なく「真面目で群れない人だった」の人物評
NEWSポストセブン
8月27日早朝、谷本将志容疑者の居室で家宅捜索が行われた(右:共同通信)
《4畳半の居室に“2柱の位牌”》「300万円の自己破産を手伝った」谷本将司容疑者の勤務先社長が明かしていた“不可解な素顔”「飲みに行っても1次会で帰るタイプ」
NEWSポストセブン
国内未承認の危険ドラッグ「エトミデート」が沖縄で蔓延している(時事通信フォト/TikTokより)
《沖縄で広がる“ゾンビタバコ”》「うつろな目、手足は痙攣し、奇声を上げ…」指定薬物「エトミデート」が若者に蔓延する深刻な実態「バイ(売買)の話が不良連中に回っていた」
NEWSポストセブン
大阪・関西万博を視察された秋篠宮家の次女・佳子さま(時事通信フォト)
【美しい!と称賛】佳子さま “3着目のドットワンピ”に絶賛の声 モード誌スタイリストが解説「セブンティーズな着こなしで、万博と皇室の“歴史”を表現されたのでは」
NEWSポストセブン
騒動から2ヶ月が経ったが…(時事通信フォト)
《正直、ショックだよ》国分太一のコンプラ違反でTOKIO解散に長瀬智也が漏らしていたリアルな“本音”
NEWSポストセブン